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193. フィッティング

 こちらのポッドキャストも、気づけばもうすぐ記念すべき第200回を迎えるのですね。決して派手な盛り上がりがあるわけでもなく、バズりとは無縁の場所でひっそりとマイクに向かっているわけですが、いやいや、そもそも目指している場所がそこではありませんからね。もし仮に「人気者になりたい」という野望を掲げていたとしたら、とっくに心が折れて番組を畳んでいたことでしょう。そうではなくて、これはもう何と言いますか、完全なる自己満足であり、自己補完なのです。極めて自己言及的で、ひたすら自問自答を繰り返すだけのポッドキャスト、そんなジャンルが他にあるのかは謎ですが。 まあ、だからこそ私にとってこれは日々の思考の「くりだし」であり、アウトプットの一環なのです。クリエイティブな表現、あるいは心の掃き溜め、もっと踏み込んで言えば日々の排泄物のようなものかもしれません。もっとも、そんな大層な「身」のある話ができるわけでもありませんから、せいぜい「おなら」程度のものでしょうか。いや、これこそまさに「放屁」そのものと言った方がしっくりくるかもしれません。そう考えると、いつも決まったテンプレに沿って丁寧に編集しているこの番組も、そこまで型に囚われる必要はないのかもしれないなと、ここ最近はずっと思い続けています。とはいえ、じゃあ急に構成を変えようと思い立っても、いざ具体的にどうしようかと考えるだけでちょっと忙しさにかまけてしまい、結局は手をつけられないままズルズルといつものテンプレで続けてしまっているのが現状です。 もちろん、そんなものはノリで好きなように変えればいいじゃないかと自分ツッコミを入れたりはするのですが、そこはそれ、日々のサイクルを守るということも一つの美学です。テンプレ上等、規則正しい日々の営みを大切にしながら、たまにはその枠をちょっとだけ壊してみる。そうやって日常のなかにささやかな変化や刺激を差し込みながら、ちょっとした「放屁」のような気ままな響きでもって、心地よい渦をまき起こしていきたいものです。 それはさておき、私のささやかな「ねらい」の一つである、月間220キロメートルを目指した自転車通勤についてですが、実際のところ8月の走行距離はなんと305キロメートルに達していました。さすがにやり過ぎではないかと少し心配になりますが、幸い足腰にこれといった異変や痛みもなさそうなので、当...

192. 粗密の関係

 頭の中がなんとなくごちゃついており、バックグラウンドで処理しているタスクが多すぎて、さっさとすべてポイッと片付けてしまいたい気分です。仕事が次から次へと押し寄せるのも一因ですし、そこへ生活のあれこれが重なって、不要な心配事まで次々に湧いてきてしまいます。 もっとも、大抵のことは考えても仕方がないものばかりです。いっそすべてが順風満帆にうまくいくシミュレーションでもして、「もういいからほっぽっておけ!」と投げ出してしまいたいところですが、気づけばもう実際にそうやって大体のことから目を背けていたりします。 未来のネガティブな妄想なんてしたところで意味がないと分かっていながら、一度発動してしまった脳の暴走はどうにも止められません。的中率の低いネガティブな予測を、いつまでいつまでも抱え込んでいるのかと自分でも呆れます。不安が湧いては蓋をしての繰り返しで、久しぶりに夜中の思考ループにハマってしまい、なんとなく寝不足気味のまま昼休みに少しウトウトしてしまいました。さっさと寝ればいいのにと自分でも思いますが、これもここ最近の個人的な大きなテーマです。もっとも、その日はお酒を飲みすぎたことと、午前中にドリンクバーのコーヒーを飲みすぎたことが確実に影響しているはずです。 ここまで思考ループの中身についてはまったく話していませんが、そもそも話すつもりもありません。あまりにも生々しい生活密着型の話は、どう考えてもブログにはふさわしくありませんからね。 さて、それはさておき、前回までは「放屁」についてお話ししてきましたが、いかがでしたでしょうか。もっとも、話している本人ですらしっかり理解できているわけではなく、なんとなく「こうするといいのかもしれない」というおぼろげな「みちすじ」が見えてきたところですので、これからその形をしっかり固めていきたいと感じています。 日々の「ケ」の暮らしをどう過ごすことで適切にエネルギーのゲージを溜め、最高の「ハレ」を迎えることができるのか。それを自発的に実験してみたいという思いがふつふつと込み上げてきます。それはまるで、目の前にぶら下げられたニンジンに向かって馬を走らせるようなものであり、そのニンジンのリストアップについては、前回の第191回「放屁3」の中で少しお話しさせていただきました。 今回はそれに引き続いて、その「ハレ」を迎える際の心構え、いわ...

191. 放屁3

 最近、我が家が線状降水帯の渦中に入ってしまい、なかなか過酷な状況に見舞われました。少しずつ平常モードへと切り替えつつあるものの、なんだかんだと被害は残っており、少々頭を痛めているところです。自然現象ゆえ仕方がないとは言え、次の被害に対する迎え方やシミュレーションは、もっと突き詰めておかなければいけないと痛感いたしました。今回の事態はなかなか読み切れないものでしたが、この教訓をどう次回に活かしていくかが今後の課題です。 当日は夜中じゅう激しい豪雨と雷に見舞われ、非常に騒がしい一夜となりました。途中で何度も目を覚まさせられましたが、そのたびに「寝よう、とにかく寝よう」と執念で粘り、小間切れながらも合計で8時間ほどは睡眠を確保いたしました。幸いにもお盆休みの最中だったため、通勤の心配をせずに済んだことや、家族全員が揃っていたのは不幸中の幸いでした。なにしろ物理的に家から出られない「籠城」状態が丸二日ほど続き、水が引くまで待つしかなかったのですから、冗談抜きで大変な数日間でした。 そんな非常時であっても、睡眠に対する情熱だけは失いません。ここ最近はとにかく睡眠時間を多めに確保することを心がけております。土日であっても夜更かしは避け、8時間以上の睡眠をとるようにすると、目に見えて体の調子が上がってまいります。これだけ寝てもなお、日中に眠気が襲ってくるのは一体どういうことなのかと、自分でも首をかしげたくもなりますが。 また最近は、動画配信サービスの契約を無理に延長せず、デジタルウェルビーイングのルールをしっかりと守る試みを行っております。デジタルと適度な距離を置くことが、結果として心身のギャップを埋めるのに役立つのではないかという実験の最中です。睡眠を十分に取ると気持ちに余裕が生まれるという、あまりにも当たり前すぎる事に、この歳になってようやく心から納得いたしました。「早く寝なさい」「さっさと寝ろ」という昔からの教え通り、ただ寝るだけで解決する問題が世の中には案外多いのだと、いま切実に感じております。自分にとってはいい発見でした。 もちろん世の中には、寝たくても自分の意思では眠れない方もいらっしゃいますから、大変なことだと思います。私の場合、前日に寝過ぎたときを除けば、睡眠不足の翌日には体が強制的に眠りを求めてくる体質のため、これは本当にありがたいことだと感じておりま...

190. 放屁2

 本日も2本録りということで、いよいよ2本めに突入いたします。今回はさくっとライトに済ませましょう、なんて思いつつ、気付けばいつものペースです。録音時点ではもうすぐお盆休みという時期ですが、配信される頃にはとっくに終わっているという、相変わらずのタイムラグのある状態でお届けしております。 来週の月曜日は通常どおり出勤いたしまして、祝日の火曜日から翌週の日曜日までが連休となります。そのお休みの前までに片付けたいことが山ほどあったのですが、連日の残業のおかげでどうにかこうにか追いついている状況です。とはいえ、これであまりにも無理をしすぎると体が持たないのは目に見えていますので、最近は意識して睡眠時間を最優先にするよう生活習慣を見直しております。日々の細々としたハレの要素を上手に削ぎ落としながら、地味でありながらも平穏な日常であるケの状態をいい具合にキープできているのではないでしょうか。やはり、こうしたコントロールを自発的に行い、自分のスタイルとしてしっかりと板に付けていきたいものです。 いかに日常のルーティンを整え、ここぞという時のハレの効果を最大限に引き出すかという、絶妙なケのコントロールですね。日常というのは驚くほどつつがなく、あえて言えばつまらないと感じるくらい平穏であるべきで、その中で俗世の汚れに染まらないよう、ほんの小さなハレのスパイスをふわりと効かせるのがちょうどいいのです。そう、そこでまさに放屁の出番というわけです。今回も、この奥深い放屁という現象についてじっくりと考えていきたいなと思っております。 そもそも放屁というネーミング自体、今更ながらこれで本当に大丈夫なのでしょうか。いや、今更気にしたところでどうしようもなく、どうでもいい話かもしれませんけども。例えば、ジェットという言葉にアルファベットのエイをつけて、エイジェットなんて表現してみるのはいかがでしょうか。ただのジェットでもいいにはいいのですが、自分が狙いすます絶妙な45度の方向を意識していくと、頭に何か接頭詞をつけたくなるのです。アジェットでも良かったような気がしますが、なぜかエイジェットのほうがしっくりきます。一体何の話をしているんだという感じですが、まあどちらでも構いませんし、むしろこんなおふざけはやめて素直に放屁でいいでしょう。どうせ自分ひとりが勝手に使っているだけの概念なのですから...

189. 放屁

 子どもたちが夏休みを迎え、家で暇を持て余す姿が目立つようになりました。部活も熱中症警戒アラートが出ると中止になってしまうため、どうしても家にいる時間が長くなります。そうなると、日々の家事が思うように進まない妻のストレスゲージが、早くも八月前半にして限界に近づいている雰囲気をヒシヒシと感じます。これは何か動かねばと思い、子どもたちをどこかへ連れ出す日を作ろうかと考えました。プールへでも連れて行くか、それとも最近また話題になっていたマイクラの話題が影響してか、我が家のレルムス熱が急上昇してきたところです。 子どもからレルムスに新しいワールドを作ってほしいとリクエストがあり、早速準備に取りかかりました。レルムスというのは、家族や友人といった限られたメンバーだけで安心して遊べる、二十四時間稼働の公式オンラインサーバーのことです。その新しいワールドを作成する際ふと、ハードコアモードでワールドが作れることに気づいて驚いてしまいました。ハードコアモードといえば、一度死んだらそれでおしまいの過酷な設定です。敵モブの攻撃力も高く、死なないように細心の注意を払ってプレイする緊張感がたまらない魅力です。せっかく順調に進んでいたのに、うっかり高いところから転落してしまい、積み重ねたすべてが一瞬で無に帰るあのスリルは格別です。 もっとも、自分にとってレルムスでのハードコアモードは初めての経験だったため、かなりのスリルを味わうことになり、とても瞑想どころの騒ぎではありませんでした。そもそも私が普段提唱しているのは、マイクラの単純作業を心を無にして淡々と続けることで、一種の瞑想状態に入り込めるのではないかという持論です。以前、夜中にマイクラをしていた時間帯に、スマートバンドが睡眠中だと誤認して記録していたことがあったので、あながち見当違いでもないはずだと思っています。そんなふうに、本来の落ち着いた「マイクラ瞑想」とは全くかけ離れたスリリングな状況ではありましたが、予想以上に夢中になってしまいました。 今回の思考実験は「放屁」 自分だけにカスタマイズした 日々に倦んだ ケガレを解消する _ハレの計画を考える。 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/NXHHhYBAU6SuLBWW6

188. 大好物ラッシュ

 先週は忙しく、まあもう少し忙しくなりそうだったりはしたのですが、予定していた飲み会のお誘いが会社の都合で流れてしまいました。本当は行きたかったものの、こればかりは仕方ありません。ただ、そのおかげでやりたかったことが無事に完成したので、結果オーライと言えるでしょうか。もっとも、本当はそれこそ貴重なハレの機会であり、多少の体力的な負債があろうとも参加するべきだったのではないか、とわたくしは今でも心の片隅で感じてはおりますけれども。 しかし、前回の録音でマイクロハレの怖さを実感しまして、さっそく生活を見直してみました。布団の中でいつもならだらだらと摂取していた動画配信を、スパッと無しにして……というのは嘘で、完全に無しにはできなかったのですが、アプリのデジタルウェルビーイングでDisney+の視聴時間制限をかっちり設定しました。週末だからといってチートして延長し、何時間も再生するのをやめ、きっかり一時間に抑えて、他のアプリも十数分程度にして徹底的に見直したのです。 そうして延長禁止にしたところ、土曜日はめっぽう早く寝ることができ、なんと十一時間半もの睡眠をとることができました。これは、すごい。まさにこれこそ祭礼でありお祭り、完全なハレの状態で、心身ともにきれいにリセットされてしまったのです。案外あっさりとうまくいったものだなと驚きつつ、もうこれで十分なんじゃないか、さっさと寝てしまえばいいんだなとしみじみ思いました。睡眠一番。 振り返れば、最近の過剰なエンタメの取り入れは、今のわたくしにとっては少し重たすぎたのかもしれません。よく分かりませんが、いったん止めるというか、量をぐっと減らしてみることにします。いつからだったか、2025年の正月頃から始めたエンタメの大量摂取ですが、その前の静かな自分というのは、やはり敢えてあの落ち着いた状態を自分でつくっていたのではないか、とすら思えてきます。忘れましたが原因は。 もっとも、そう考えること自体がまた極端なのですが。すべてをちょうどいい塩梅で調整し、マンネリをうまくコントロールできる人が本当に羨ましい限りです。結局のところ、わたくしは根が極端なのでしょう。だからこそ「ちょうどいい加減を探る」ことを座右の銘に掲げているわけですが、極端な人間だからこそ、そんな座右の銘をわざわざ立てることになったということなのでしょうね。 実...

187. 凪につぶて

 ここ最近、なぜだか分からないのですが、何かに急かされているような、得体の知れない走らされている感に包まれています。実際にはそんなことはないはずなのに、心の内側には言い知れないマンネリ感が漂っているのです。 自分を鼓舞して走らせるための仕組みはいくつか用意しています。それについては、こちらのポッドキャストで何度も話題にしているので、すでにご存知かと思いますが、ここでは割愛させていただきます。ただ、わかりやすい例を挙げるならば、「しれじポイント」というものがあります。これは、自分で自分に付与するポイント制度のようなものです。「とりいれ」と「くりだし」、平たく言えばインプットとアウトプットに対して、わたくし自身がスマホのスプレッドシートでこつこつと管理しながらポイントを与えているのです。 そうして仕組み化し、自動化して動き始めると、最初はそれなりの楽しさがあるのですが、すぐにマンネリ化してしまうのですね。つい最近の第183回「亀の甲」という回でもマンネリについてお話ししたばかりですが、そう、実際はマンネリ上等ですし、続けてなんぼの世界ですから、本来は何も気にすることなどないのです。むしろ順調に進んでいる証拠なのだから、余計なことは考えずに、ちょっとした変化を加えてアップデートさせ、黙々と作業を続けていればいいだけの話なのですが……。 勝手に、なんと言いますか、自分自身で監視システムを作り上げてしまった結果なのでしょうか。いわばセルフパノプティコンですよね。自らが生み出した自動化の仕組みのせいで、内発的な動機からはじめたはずなのに、なぜか謎の「やらされ感」がじんわりとまとわりついてくるのです。 そうなってくると、ちょっとした不規則性や波乱を自分に加えたくなってしまいます。昔、わたくしが絵を描いていた頃、手が止まってしまったら「とにかく一度ぶっ壊せ」という講師の教えがありました。その言葉が今でもわたくしの指針のひとつとなっています。これもまた心に打ち込まれた「くさび」のようなもので、かなり深く定着しているようです。 結局のところ、わたくしの現在は過去からのメッセージを受け取りながら、さまざまな「渦」と混ざり合いながら形作られているわけです。まるで昔のクリープのCMではないですが、これまでの人生で積み重ねたハーモニーのようなものなのでしょうか。まあ、深く考えすぎても仕...

186. 崖っぷち

 今回は本当に短めに終わらせるぞという強い信念をもってマイクに向かっています。なんだか最近はずっと同じような場所で足踏みをしている感覚がありますね。ここんとこ何回も同じテーマをこすっている気がしますが、なんていうことすらもまた自分でこすっているという矛盾。ここんとこどころか、下手したらこの番組ってずーっと同じところをループしているのかもしれません。まるでメリーゴーランドのように。いや、せめて螺旋階段のようであってほしいと願わずにはいられませんが。 でも、なんでそう思うのでしょうか。別にメリーゴーランドでもいいじゃないですか、何回も同じ位置に戻ってきたって。そうそう、自分の中に螺旋階段のように上に行ったり下に行ったりして、せめて違うところに移動したいという強い願望があるのかな。変化そのものを面白がりたいんだろうか、いや、ちょっと抽象的すぎますかね。大切にしている志である「ごはんをおいしくたべたい」と「まじめにふざける」のどちらにも直接は被っていなそうな、もっと根源的な行動原理の中に「変身したい」という欲求があるのでしょうか。なんだか脱皮でもするみたいですが、つまりは今と違うようになりたいということなのでしょうか。 そう、今なぜ自分が少しずつ移動したがっているのか、その行動原理の源泉になる部分ってなんだろうって考えてみたものの、すぐには分かりません。いや、待てよ。「ごはんをおいしくたべたい」という目的のためにいろいろやっていることの、そのうちのひとつなのかもしれません。いやあ、よく分からないけれど、感覚として「それがいい」と直感で選択しているんでしょうね。もうロジックではなく、すっかり内面化されている、ずっとやり続けるための不思議な原理というかエンジン。ドーパミンあたりも怪しいものです。 生命の不思議ですね。結局のところエントロピー増大の原理には逆らえないという、いささか思考停止な考えに落ち着かせてしまうのは、思考実験のポッドキャストとしてどうなんだと思わなくもありませんが、ついつい考えてしまったものは仕方がありません。まあ、早く終わらせたいんだと今日こそは思っていますので、さっさと始めていきましょうか。 今回の思考実験は「崖っぷち」 このまま進むと崖っぷちに出る事が、経験上わかっている時に、歩みを止めさせるのか、崖っぷちを渡れる何かに期待するのか 以上です。...

185. 空気の成分

 相変わらず時間がなくて、どうしてこんなにも忙しいのだろうとため息が出る。でも最近になって、ふと気づいたことがあるのだ。早起きの1時間は恐ろしいほどに仕事が捗るということを。寝しなよりも起きしなの方が、脳の回転が圧倒的に早い。それがようやく分かっただけでも、早起きを始めた甲斐があったというものだ。 のび太くん並みに一瞬で寝つける特技は、いつから身についたものだろうか。学生の時は常に眠かったし、社会人になってからも……いや、社会人という響きは、なんだか今でも少ししっくりこない気もするが、まあいい。社会人になってからも、私は相変わらず毎日眠い。いくらたくさん眠っても眠気がおさまらないのだから、単純な睡眠不足というわけではないのだろう。それなのに、どこかエネルギーが足りていないような感覚がずっとつきまとっている。 だからこそ、特に夜中に作業をしようとすると、どうしても睡魔に負けてうつらうつらと寝落ちしてしまう。そのため、夜の時間は「とりいれ」の作業に充てることにしている。これなら万が一寝落ちしてしまっても、大勢に影響はないからだ。そして、脳が冴える「くりだし」の作業は朝に回す。そうやって工夫しながら、日々の時間をつくり出している。 そう、朝は終わり時間がしっかりと決まっているというのも、作業が捗る大きな理由なのだろう。ただ脳がフレッシュというだけでなく、制限時間が強制的に設けられているからだ。なにしろ、家族の朝ごはんを作らなければならないという重要なミッションがある。毎朝同じ時間に家族が学校や会社へと向かい、そうして私たちの社会は成り立っている。人間の社会も、動物たちも、太陽の動きや自転・公転のリズムに寄り添って生きている。 地球という強烈なリズム、つまり時間というドデカい渦に私たちは巻き込まれている。毎朝スマホのアラームで無理やり起こされているだろうか。それとも、窓から差し込む柔らかな光で自然と目を覚ますだろうか。なんだか後者の方がおしゃれだし、それが本来のベストな生き方な気がしてしまうのはなぜなのだろう。ラジオやテレビも、毎日変わらぬ同じリズムで放送を届けてくれている。 夏至の時期も冬至の時期も同じように時は流れ、逆にそうした人工的なリズムに合わせることが、どこか違和感や無理をしているように感じられることもある。今さら何を当たり前なことを、と思われるかもしれな...

184. 空っぽ

 サッカーのワールドカップ、ブラジルの強さには改めて圧倒されました。隙を全く許してくれないあの感じ、選手全員が圧倒的な個人技を備えている上に、隙が生じた瞬間の動き出しが非常に有機的です。誰もぼんやりしていないというか、反射速度が常人の域を超えていて、考えるより先に体が反応しているような凄みがありました。もちろん日本の選手たちも相当に速いのですが、絶対的な局面で一瞬のうちに勝負を決めてしまう怖さには、ただただ驚かされるばかりで、どうすればあそこまでの境地に辿り着けるのかと途方に暮れてしまいます。 予選のチュニジア戦は見ていて最高に楽しかったですね。たくさんゴールが決まる試合はやはり心躍るものです。しかし、決勝トーナメントに進んでの初戦、ブラジルはやはり格が違いました。その中で、日本の先制点を決めた瞬間は本当に素晴らしく、内容も全体的に悪くはなかったのですが、やはり埋めがたい差を突きつけられたような気がします。それでも、あわよくば勝てるかもしれないという予感を感じさせてくれた時間は、見ていて純粋に楽しいひとときでした。予選のオランダ戦についてはまだ見ていないのですが、結果を知ってしまった今となっては、もう見なくてもいいかな、なんて思ってしまいます。 そういえば、1998年のフランスワールドカップの頃の情熱はどこへ消えてしまったのでしょうか。当時は夢中になって、他国の試合も含めてすべて見ていました。確かWOWOWで全試合放送していて、わざわざ加入してすべてビデオに録画した挙句、本当に全部見たんですよね。あの頃は金銭的な余裕はなかったけれど、驚くほど時間だけはありました。今振り返ると、あれだけ情熱を注げた時間が懐かしくもあります。 今はといえば、仕事も忙しく、他にもやりたいことが山積みです。最近はDisney+で『マンダロリアン』や『ボバ・フェット』を楽しみつつ、MCUのマルチバース・サーガ関連の作品を片っ端からチェックしているため、とにかく時間が足りません。情報をインプットしすぎて、明らかに「取り入れ」過多な状態です。そんな中で大きな地震があったり、ダブル台風がやってきたりと、なんだか世の中が慌ただしく、忙しなさばかりが募ります。 それでも、日々の習慣は何とかして続けていきたいと考えています。その時々の状況に合わせて強度のコントロールはしつつも、やはり時間が詰まっ...

183. 亀の甲

 最近、SITを取り入れてみています。スプリント・インターバル・トレーニングの略で、100%出力の激しい短時間の運動のあとに長めの休憩をとる、というサイクルを3回繰り返すトレーニングです。 自転車通勤の最中に、このトレーニングを実践しています。具体的には、交通量の少ない見晴らしの良い田舎道の直線で、20秒間だけ最大出力で漕ぎます。大体時速22~23kmからカウントを開始し、最後には35kmを超えてフィニッシュするような強度です。行き帰りの両方でやることもありますが、なかなかの疲労感なので、帰りだけでも十分かなとも感じています。 以前だったら、はあはあぜいぜいと息が上がってしまいそうな強度ですが、最近は不思議と呼吸の乱れが少なくなりました。単に身体が勝手にリミッターをかけて加減しているだけかもしれませんが。水泳だとリミッターが効かないような感覚があるのはなぜなのでしょう。筋肉を使っている割に酸素が足りないからなのか、水泳はやはり疲れますね。そういえば、いつの間にかスイムセットを揃えようと思っていたこともすっかり忘れていました。 さておき、SITによって地道にミトコンドリアが増殖してくれていれば嬉しいものです。質も高めたいので、オートファジーを活性化させるために食事を抜くことも並行すべきかなと考えています。ただ、最近は身体のあちこちに、かすかな違和感を覚えることもあります。膝や肋骨の奥深く、身体の内側に感じる言い知れない重さというか、極小の炎症のような感覚です。そのため、最近は通常の筋トレであるダンベルランジを控えめにして、身体を回復させることを優先しています。回復に時間がかかる年齢になりましたから、自転車も筋トレもない日を挟むならフルで行いますが、前日にどちらかをした場合は控えるようにしています。 振り返れば、週3回の筋トレも最初はダンベルなしで始めました。ひょんなことから手に入れたダンベルを片手4kgからスタートし、6kg、8kgと少しずつ増やしていき、気づけば今や最大の10kgになりました。半年くらいかかったでしょうか。時が経つのは本当に早いもので、つい忘れてしまいます。 10kgになってからも随分と長く、ずっと同じことを繰り返しているようなマンネリ感に襲われることもありました。しかし、こうして振り返ってみると、実は地道に少しずつ、微妙にグレードアップして...

182. 世界の記憶

 相変わらず時間がない日々を過ごしていますが、それでもDisney+には平日制限をかけて、なんとか睡眠時間を確保しています。その浮いた時間を自由時間として、読書も少しは取り入れられるようになりました。ただ、寝しなの「くりだし」はどうも腰が重く、最近は思い切って早起きにシフトしました。今のアラームは5時10分です。そこから調子が良ければ朝ヨガを10分、これは継続できています。 そこからの「一番思考」が、私の大切なルーティンです。外山滋比古さんが提唱されている、朝は脳がもっとも冴え渡るゴールデンタイムなんだというお考えを活かして、早起きして「くりだし」メインの思考活動を行っています。朝ヨガと合わせて1時間の思考活動をもって、自分の中で「くりだしポイント」を2ポイント加算する仕組みです。急にポイントの話が出てきて恐縮ですが、私は自分自身にポイントを与えて管理しています。スマホのスプレッドシートでしっかりと記録しているのですが、今のところ溜めたポイントで何をするかは決めていません。ただの習慣化の道具ですが、意外と効果的で、自律的に機能しています。今のところ。 そういえば、朝の「くりだし」で「コイン集め」と称した副収入行動をとるという目標はどうなったかというと、これがまだうまく働いていません。以前、なぜうまくいかないのか思考実験してみたところ、それは「放屁」のせいだという結論に至りました。渦を回すには「放屁」これは独自の用語です。つまり目標に向かうための姿勢というか取り組みの事なんですが、それが重要だということ。45度の角度にぶっ放す。あらためて意識して取り組まないといけませんね。 さて、少し話が脱線しましたが、平日にDisney+を観られない分、週末になると結局たっぷりと観てしまうのはお決まりのパターンです。締め付けすぎると反動が来るというのは、よくある話ですよね。自分でもわかっていたはずなのですが、ここ最近はすっかりMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の沼に浸かっています。 2019年の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』まで、サノスという強大なヴィランと戦う「インフィニティ・サーガ」という大きな物語がありました。フェーズ1から3まで丁寧に積み上げられた重厚な物語です。それが終わってからはコロナ禍ということもあってか、2020年は丸一年あいてしまい...

181. フィーディング

 時間が足りない、足りないなどと嘆いていますが、結局のところ配信サービスを眺めて過ごしているのが原因なのでしょう。本当に、どうしたものかと思います。例の「続けて再生」される機能のせいで、うっかり寝落ちしてしまい、翌朝に巻き戻して同じ箇所を見直すなんてことが日常茶飯事です。 もともと私は群像劇が好きなので、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の世界観にはすっかりハマってしまいました。あちこちに散りばめられた伏線が見事で、少し違和感を覚えたシーンが後になって鮮やかに回収されるたび、見事にやり込められた気分になります。「この人は一体誰だろう?」と疑問に思った人物が、後々になって重要な繋がりを見せてくる展開には、ただただ脱帽するしかありません。 MCUシリーズも直近になると、ついにマルチバースという概念をぶっこんできましたね。ドラマシリーズの『ロキ』では、時間をテーマに枝分かれした世界が描かれましたが、私の直感では、まさにこの「枝分かれ」こそがマルチバースの正体ではないかと思っています。うまく言語化はできないのですが、そういった難解な概念をドラマシリーズが丁寧に補完してくれるものだから、すっかりその魅力に絡め取られてしまっているわけです。 海外ドラマの面白さにヤミツキになっている現状には、少々危機感も抱いています。これではいけないと、ようやく視聴時間を制限することに決めました。Disney+の設定を見直して、一日に一時間まで。今の私には、これしか選択肢が残されていません。 結局のところ、自分で能動的に選び取っていないのが一番の問題なのでしょう。プラットフォームが勧めてくるものをただ受動的に摂取し続けるだけでは、いわば「そうさせられている」に過ぎません。自分から情報の海へ打って出なければ、いつまで経ってもこの泥沼からは抜け出せないのですから。まったく、困ったものです。 今回の思考実験は「フィーディング」 自分で美味しいものを探して選んでいる実感はある。しかし結局、目の前に差し出されたスープを喉に流し込んでいるだけかもしれない。感情をシステムに委ねたとき、私たちの心のよりどころはどこに存在するのか 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/oJ9tXDkYAjK...

180. さざなみ

 「いどばた」という名のサーバーで、管理人を務めております。急に何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、このポッドキャストとは基本的には何の関係もありません。ただ、私が「しれじ」という名前でサーバーの主、いわゆる鯖主をしているというお話です。場所はDiscordですね。 このサーバーを立ち上げたきっかけは、正直なところ少し忘れてしまいました。ただ、コミュニケーションについていろいろと考えを巡らせた結果、生まれたものなのだろうと思います。そこには、私のエンジンでもある「ごはんをおいしく食べたい」あるいは「まじめにふざけたい」という「こころざし」が息づいています。「ごはん」の方にはあまり直結していないかもしれませんが、「ふざける」という要素には通じているので、良しとしましょう。 コミュニケーションといえば、通勤の車中というのは一人の時間が確保できる貴重なタイミングですよね。会社に泊まり込まない限り、こうした自分だけの時間は毎日必ずやってきます。かつては社畜のように会社へカジュアルに泊まり込む時代もありましたが、今では到底考えられません。深夜の帰宅ですら心身にこたえるものですし、何よりそうした働き方自体が、今の自分の感覚からはどこかズレているように感じます。 そんなふうに運転中の一人きりの時間や、ふとした手持ち無沙汰な瞬間を、すべて内省に充てるのではなく、もっと有効に活用できないだろうか。そんな着想から「いどばた」は始まった気がします。立ち上げ当初の細かい記憶は定かではありませんが。 あらためて説明すると、Discordというのは音声チャットのためのアプリです。元々はゲームプレイ中のチャットツールだったのでしょうが、無料かつ高機能でユーザーも多いため、今回のような場を作るのには最適でした。LINEでもチャットは可能ですが、目的に照らしてDiscordを選んだ形です。サーバーといっても、難しいことはなく、一つのグループのようなものですね。 「いどばた」は、スキマ時間にふらっと立ち寄って、気軽に話せるようなサーバーを目指しています。特定のテーマや目的はありません。ノンジャンルで、ただ空いた時間に寄ってみる。そんな気楽な場所です。 構成としては、音声チャットがメインです。顔出しやビデオは不要で、音声だけでもまったく問題ありません。気の向くままに、途中出入りも自由で、...

179. 財布の謝礼

 せっかくですので、少しばかり友人関係という名の「出汁」を引いて、関係性の話を続けようと思います。ずいぶん引っ張るなと思われるかもしれませんが、それも仕方のないことです。仕事以外の人間関係となると、もう持ち合わせがそれほどありませんから。自分にとっての貴重な体験を、こうして言葉にして出汁にするしか道はないのです。 事の発端は、LINEに残した「ごちそうさまでした」という一言でした。奢りと割り切って支払ったはずの1軒目でしたが、自分でも記憶が曖昧で、続く2軒目や3軒目をどう処理したのか、どこか心に引っかかっていました。Aさんからの質問と、そこにBさんの解説が加わり、記憶のキャッチボールが成立してようやく全容が見えてきたのです。ゲストにも連絡をとって状況を確認し、なんとか納得のいく着地を迎えることができました。 そんなふうに、記憶の断片を拾い集める作業をしながら、次回の集まりに向けて準備を進めています。今はまだ軽くさわりだけ情報を集めている段階ですが、次は貸し切りで場所を取って飲み会を開くのも面白そうだなと考えています。ただ、いざ探してみると禁煙のお店が意外に多くて驚かされます。世の中の流れとはいえ、喫煙者の方にも楽しんでもらえる場所を探すとなると、もう少し腰を据えてリサーチする必要がありそうです。どこかに「実は喫煙可能です」なんて穴場が隠れていないかと、淡い期待を抱きながら動いているところです。 それにしても、こうして負債の返済のように飲み会の調整をするのには、どこか座りの悪い違和感が残ります。この心のざわつきや、わだかまりの正体は一体何なのでしょうか。不思議な感情です。もしかすると、自分の芯にあるOSのようなもの、あるいは等価交換を原則とするような、もっと根深い部分から来る影響なのかもしれません。よくわからないままではありますが、今はなんとなくその感覚と付き合いながら、次の準備を進めていこうと思います。 今回の思考実験は「財布の謝礼」 1億円の当選宝くじが入った財布を、当選を調べずに交番に届けた。後日落とし主から謝礼を1000万円払いたいと申し出があった。あなたならどうしますか? 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/VbcPDxqKxtbgkD9G7 ...

178. 長い夜

 もうだいぶ前のことのように感じておりますが、実際には2週間以上も前の話ですね。ゴールデンウィークの出来事を今さら収録し、そこからさらに3週間ほど経ってから配信するという、なんとも悠長なテンポで進めております。じっくりし過ぎではないかと自分でも思いますが、気にせずこのままお付き合いください。 当初、前回の内容は2回に分けて収録しようと考えていたのですが、いかんせん忙しく、少し無理が生じてしまいました。そのため、配信が随分と延びてしまったのです。ただ、時間が経過したことで客観的な視点を持てたのは幸いでした。無意識のうちに記憶が沈み込んでしまう前に、少しくらいは整理しておきたいという思いもありましたし、自分の中でまだ少しだけくすぶっている感情もあったものですから。今回も、そんな話をライトにお届けできればと思っております。 さて、件の飲み会の精算についてです。飲み会から2日後に、友人であるAさん(仮称です)からLINEが入りました。要約すると「1軒目で調子に乗って支払ったのは覚えているけれど、2軒目や3軒目の分を支払った記憶がない」という報告でした。それを皮切りに、Bさんも「自分もよく覚えていない」と前置きをしつつ、比較的詳細な状況を教えてくれました。 実を言うと、私も記憶がほとんどありません。ただただ「楽しかったな」という感覚だけが残っている状態で、それどころか3軒目に行ったことすら記憶から抜け落ちていたのです。だからこそ、その事実を知ったときは「え、3軒目って何?」と、本当に驚いてしまいました。記憶が飛ぶほど楽しかったとはいえ、少し心配にもなりますよね。 Bさんの報告のおかげで記憶を補うことができ、そこでようやく支払いが足りていなかったという事実が発覚しました。当然のことながら、心の中はなんとも言えないバツの悪さでざわざわと落ち着きません。 結局、最初に連絡をくれたAさんが一番多く支払ってくれていたのですが、私がすぐにネット送金で清算しようと申し出ても「大丈夫だよ」という返事でした。なんとなく有耶無耶なまま事態が収まっていく様子に、果たしてこれが正解なのか、あるいはどう振る舞うべきなのか、少しばかり戸惑う気持ちも残ります。Bさんはほぼ割り勘に近い額を支払ってくれていたようなので、今度は私が多めに負担することで、とりあえずの着地点とすることにしました。 そうして...

177. 思考の千日手

 こちらの配信日は5月末、29日を予定していますが、収録を行っているのはゴールデンウィークが明けた11日の週です。大型連休の余韻がまだ微かに残っている一方で、すでに日常の慌ただしさが始まっており、まるで二つの季節の境界に身を置いているような不思議な感覚を覚えています。 連休中、心地よい刺激にさらされて心身ともに充実してはいたのですが、久々の外出や活動で少しばかり反動も感じています。なんとなく頭の中が霧に包まれたような感覚が拭えず、もやもやとしたものが心に居座っているような状態です。あれもこれも未処理のまま放置されているようで落ち着きませんが、これらも5月の課題として一つずつ片付けていかなければなりません。ただ、こうした姿勢もまた「こうあるべき」という自分の悪い癖の種かもしれませんね。そのあたりは、あまり気負わず適当に流していくのが一番でしょう。 そういえば5月6日に、長いことお世話になったNetflixを思い切って解約しました。そして入れ替わるようにすぐDisney+への加入を決めました。観たい作品が山積みで、嬉しい悲鳴を上げています。ただでさえ霧がかかっている頭にさらに拍車がかかりそうなので、本来なら映像作品から少し離れるのが賢明なのでしょう。それでも、わかっちゃいるけれどやめられないのが悲しい性で、結局は睡眠時間を削ってまで観続けてしまうのです。 まあ、今回のところはこの話は置いておきましょう。というのも、今回は2本撮りの予定ですので、このあたりで本題へとサクッと進めたいと思います。 今回の思考実験は「思考の千日手」 答えの出ない問いを反芻して脳内で延々と思考がループする迷路にはまっています。たださまよい続けるか、壁を壊して突き進むか、寝るか 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/dwLPhQdGy2AU8CJL7

176. 応報の主体

 いよいよゴールデンウィーク直前となり、仕事のほうも佳境に入ってきました。いやはや、大変な時期ではありますが、いま忙しくないことのほうが逆に恐ろしいものですし、ここは甘んじて引き受けるしかありません。……なんて言いつつ、じつはもう気持ちはゴールデンウィークに入っています。繁忙期とはいえ、以前よりはずいぶんと自分なりにうまくコントロールできるようになった気がします。長年やっていれば、それくらいできるようになっていてほしいものです。もっとも、この文章が配信される頃には、とっくにゴールデンウィークも明けて5月22日になっていますけど。 それはそうと、繁忙期というのは少なからず「私(シ)」という領域を侵食してくるものだと痛感しています。時間は誰にとっても一日二十四時間しかありません。あちらを立てればこちらが立たないといった具合で、なかなかままならないものです。以前、公私融合というハックを考えたこともありましたが、どうやらそんな都合の良いものは存在しないのかもしれません。餃子の焼き加減にたとえるなら、美味しければそれで良いという気もしますが、あまり悩みすぎるのも考えものです。自然体でいることが大切ですし、餃子を美味しくするために適切な環境に晒すように、自分自身も適切な温度や時間といった良い環境に身を置くことが重要なのでしょう。第174回「ほどけた包み」で語ったことのおさらいのようになってしまいましたが、誰にとって美味しいのかという根本的な問いを抱えつつ、最近は話の内容が少しゴチャついていたように思います。 生活面でも、新年度の進学や自転車の買い替えなど、外部環境の変化があって自分でも処理しきれていない感覚が否めません。ここらで一度、脳内を整理したいと考えています。自転車といえば、乗り出しにあたって鍵の取り付けやブレーキパッドのあたり調整など、なにかとやることがありました。納車時に店員さんに教えてもらったのですが、前輪を外した際にブレーキレバーをうっかり握ってしまうと、パッドがくっついて離れなくなるという恐ろしい仕様があるようです。そんな不親切な、とも思いましたが、仕組み上は仕方がないのでしょう。納車時に店員さんが実演してくれた際、ホイールとパッドの間隔があっさりズレてしまい、回転させるとスンスンと異音が鳴るのを見て不安になりました。クイックリリースの締め方を調整しても...

175. ケッタマシーン

 毎月220kmほど自転車を走らせているのですが、ふと気になってこれまでの記録を遡ってみました。すると、累計の走行距離は19,595km。あと少しで20,000kmという、まさに節目の数字が目前に迫っていたことに気づかされました。 というのも、長年の相棒であった2015年式の白い「GIANT ESCAPE R3」が、ついに力尽きてしまったのです。故障の箇所は後輪のハブ?フリーボディ周辺でしょうか。そこを痛めてしまい、11年来の付き合いに終止符を打つこととなりました。 これまで、あちこちにガタが来ながらも、だましだまし乗り続けてきました。ブレーキワイヤーを交換し、シフターもワイヤーごと一新し、サドルは三代目に。タイヤやチューブに至っては、もはや数え切れないほど履き替えさせてきました。最近ではスプロケットの歯飛びも激しくなっていましたが、最後には後輪が左右に10mmほどもガタつく始末で、指でつまむとカクカクと揺れてしまうほどでした。客観的に見ても、相当に危うい状態だったのだと思います。 走行中もタイヤがスライドするような感覚があり、徐々に悪化していく中で、最後は「ヌルッ」とした違和感が頻繁に起こるようになりました。思えば以前、自分でグリスアップをした際の組み方に問題があったのではないかと、今になって疑念が頭をよぎります。当時は正解だと思っていたはずなのですが。 そろそろメンテナンスの時期だと思い立ち、分解して「グリスアップの儀」を執り行いました。ネットで情報を探し、これだという組み方を頼りに作業を進めたのですが、元の形状をしっかりと記録しておくべきでした。組み立てて走り出してみると、ガタつきこそ消えたものの、今度は凄まじい「振れ」が発生してしまったのです。 スポークのテンションを調整してみても一向に埒が明きません。ホイールが左へミヨーンと8mmほども寄ってしまい、回転させるたびにブレーキに干渉して「キュッ」と止まってしまう。そんな調子のまま、どうしようもなく一週間ほど乗り続けてみましたが、良くなる気配など微塵もありません。常にブレーキを引きずっているような重たいペダルを漕ぎながら、週末に意を決して再分解を試みました。 「左に寄っているのなら、部品の左右の付き方がおかしいのかもしれない」と考え、部品の組み方で無理に調整しようとしたのが決定的な失策でした。絶対にして...

174. ほどけた包み

 入学式という場は、まさに「公」の極みと言えるでしょう。どこまでもフォーマルで、ピンと張り詰めた、実に硬質な空気が漂っています。しかし、その儀式特有の形式が生み出す「渦」。それを肌で感じながら、在校生たちが新入生を歓迎しようと息を合わせ、気を込める様子には、どこか心に響くものがありました。もちろん、中には「だるいな」と義務感だけで動いている生徒もいるのかもしれません。彼らの本音までは分かりかねますが、出迎える側の先生方の熱い思い、特に音楽の先生が歌の練習を先導する姿からは、並々ならぬ気迫が伝わってきました。 会場にはまず保護者が入り、続いて在校生、そして来賓の方々と順に席が埋まっていきます。国歌や校歌の練習が繰り返されるにつれ、場内の緊張感は徐々に高まっていく。私自身といえば、一年に一度袖を通すかどうかのスーツに身を包み、まるで服に着られているような居心地の悪さを抱えていました。整然と並んだパイプ椅子に、行儀よく固定されているような、あの独特の感覚です。 乳児や未就学のお子さんを連れたご家族は、状況に合わせて臨機応変に過ごされていましたし、隣に座る妻も、PTA役員仲間と親しげに言葉を交わしていました。一方の私はといえば、基本に忠実に、背筋を伸ばして静かにスタンバイしておりました。周囲を見渡せば、誰もがフォーマルな装い。日常とはかけ離れたこの異質な雰囲気には、やはりいつまで経っても慣れることができません。 ただ、今回は少しばかり視点を変えてみました。いわゆる「渦中鳥瞰」の目線を持ち込むことで、この場を「渦」のウォッチングとして楽しんでみたのです。自分自身を少し高い場所へと「ホッピング」させ、客観的な棚上げ状態に置いてみると、これが案外面白いものですね。どのようにして「渦」が形成され、誰が上手くその流れを回しているのか。まるでリアリティショーを眺めるような感覚で語ってはおりますが、自分自身もその渦中の参加者であるという自覚は、常に、それこそ恐る恐る抱き続けてはいるのです。 場にどっぷりと浸かりきるのではなく、少しだけ自分を跳ねさせて、俯瞰する。そんな「ホッピング」の妙については、ぜひ第百六十六回の放送を併せてお聴きいただければ幸いです。 今回の思考実験は「ほどけた包み」 身近な誰かのマイナスの感情を目の当たりにし、当事者の気持ちが自分に乗り移ったとき。当事者に代...