163. 循環
先週から今週にかけて、なにげに仕事が忙しく、慌ただしい日々を過ごしております。この時期は一年の中でも一番の「くりだし」仕事が入る時期でして、私にとっては毎年の恒例行事のようなものです。あらかじめ織り込み済みの予定ですから、ただ淡々と、やるべきことをこなすのみ。実を言えば、このために日々働いていると言っても過言ではないほど、体力の消耗はさておき、どこかこの状況を面白がっている自分がいます。ですから、何の問題もありません。 ただ、不思議なものですね。こうしてわざわざ時間を割いて現状を言葉にしてみると、何だか違うメッセージとして伝わってしまうような、そんな気がしてなりません。私の言い方のせいでしょうか、あるいは考えすぎでしょうか。どうかすると、何かしらのネガティブな感情を汲み取られてしまうのではないかと、そんな杞憂を抱いてしまいます。 一般的に「働く」や「仕事」、あるいは「残業」といった言葉には、特有の重苦しいニュアンスがつきまとうものです。もし誤解を避けるために「稼ぐ」や「ミッション」と言い換えてみたとしても、それはそれで何だか違う気がいたします。白黒はっきりつける必要もないのでしょうが、物事には常に含みや幅があり、どちらかに少しだけ寄っている、という絶妙な加減があるはずです。そうした細かなニュアンスの差を表現することこそが、語り手の役割なのでしょう。しかし、それが上手くできない自分に、少しばかりの致命的なもどかしさを感じてしまいます。 伝わらないもどかしさから、ついこうして要領を得ない話を長々としてしまうのだと、今さらながら気づきました。例えば「(ネガティブな)仕事で残業しました」と「(ポジティブな)仕事で残業しました」という二つの言葉。文字にすれば同じですが、声にその機微を込めることができたら、どれほど素敵でしょうか。このセリフを完璧に使い分けられる人がいたら、ぜひその表現を拝聴したいものです。 さて、少々強引ではありますが、ここで話題を転換させていただきます。前回「代謝」についてお話ししましたが、蓋を開けてみれば、ここ一週間の私は仕事の忙しさに感けてばかりでした。仕事としての「くりだし」は多いものの、私個人の表現としての「くりだし」はお休み状態。それどころか、時間の都合で「とりいれ」すらも薄くなってしまっています。それはそれで、今はそうしたい時期なのだと...