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172. 浸透圧のせめぎあい2

 忙しいか、それとも暇か。世の中の物事の多くがそうであるように、本来はどちらとも言い切れないグラデーションのはずなのですが、私たちはついそのことを忘れがちです。わたくしは、すぐにそうやって曖昧にして、意味を消そうとしてますね。油断をすると、本当にすぐ言葉をこねくり回して、意味を無効化してしまうのは、しれじの癖です。 まあ、実際問題として、生きているのか死んでいるのかよく分からないようなおじさんの言っていることですから、あまり真に受けないでくださいね。こっちの存在もグラデーションの渦中にあるわけですから。あ、別に死にかけているという意味ではありませんよ。自分の中ではちゃんと整合性が取れていますから、決して屁理屈ではないのです。 さて、それにしても最近は忙しいですね。 って、結局忙しいんかい!と自分で自分にツッコミを入れてしまいますが。 皆さんが口にする「忙しい」という言葉も、実は「忙しい寄り」の状態を指しているだけなのかもしれません。そうしたニュアンスをわきまえておかないと、世の中ただ面倒くさいことになってしまいます。これは生活における比重、つまりウェイトの問題なのでしょう。 いや、私が本当に言いたかったのはそういうことではなく、忙しい「寄り」の状態であるに過ぎないのに、わざわざ言葉にして「忙しい」と決めつけてしまうからこそ、本当に忙しくなってしまうのではないか、ということです。……なんだかややこしくなってきましたね。自分はまだ絶対に花粉症を発症していないと言い張る人の心理に近い、と言えば伝わるでしょうか。はい、そんな感じのお話です。 さて、今回は前回に引き続き「浸透圧」についてです。どうやら境界線のお話になりそうですね。ええ、まさにそうです。こうしたイメージが、かえって自分自身を縛りつけてはいないだろうか、そんな声がなんとなく聞こえてきたような気がしたのです。 いわゆる「公私」、つまり「おおやけ」と「わたくし」ですが、この概念が意外なほど自分の中に浸透していたのだなと、あらためて実感させられました。前回、この公私の区別や、建前と本音、仕事とプライベートといった様々な境界線について話してみることで、少しだけ物事の解像度が上がったような印象がありました。そこで今回は、もう少しこのテーマについて考えてみようと思います。 今回の思考実験は「浸透圧のせめぎあい2」 公...

171. 浸透圧のせめぎあい

年明けからというもの、ずっと忙しい日々が続いています。何が原因かと考えれば、どうにもボトルネックが生じているような感覚です。先日、この状況を小学生の息子に軽く話してみたところ、「それは完全に人手不足じゃないの?」と一蹴されてしまいました。子供の純粋な視点というのは、時に恐ろしいほど核心を突くものです。 とはいえ、この忙しさが一年中続くわけではありません。今は個人のマンパワーに頼り切っている現状に甘んじていますが、幸いなことに、平日の帰宅後の自由時間が削られる程度で済んでいます。昔のように徹夜や二十連勤といった、命の危険を感じるような働き方ではありません。今の年齢でそんな無茶をしたら、それこそ一溜まりもないでしょう。 最近は、二十一時を過ぎる頃にはもう目がしばしばとしてきます。無理をしても、頑張れるのはせいぜい深夜零時まで。やはり、体力の回復に時間がかかるようになったのを痛感します。睡眠を疎かにするのは、今の私にとっては非常に危ういことです。残業が重なった週の週末は、ひたすら「睡眠の借金」を返済することに時間を費やすことになります。 それが貴重な余暇を圧迫している事実は否めませんが、睡眠そのものを一種のエンターテインメントだと捉えれば、たっぷり眠れるだけ幸せなことなのかもしれません。かつて、遊びたい盛りでも眠ることを優先していた若き日の自分を思えば、今の状況もそれほど悪くはないと受け止めています。 ただ、気になるのは睡眠スコアが必ずしも良好ではないことです。お酒の影響もあるのでしょうか。チェイサーとして水をしっかり飲みながら晩酌した翌朝は、比較的調子が良かったように感じます。そのあたりも上手く付き合っていきたいところです。また、気が張っているのか、あるいは寒さのせいか、右の首筋から腰にかけての凝りがひどく、ストレートネックの症状も重なっているようです。久々に水泳にでも行って、身体をほぐすべきかもしれません。 そんなわけで、今の自分には少しばかり休息が必要です。今回はあまり気合を入れすぎず、ライトな内容で締めくくらせていただこうと思います。あらかじめ宣言しておくスタイルで、少し薄味の更新となりますが、どうぞご容赦ください。 今回の思考実験は「浸透圧のせめぎあい」 公を私に溶かし込んで境界をなくす試みは、私としての主体性を取り戻すために有効か。それとも逃げ場のない監視され...

170. 走らない馬

 「朝ヨガ」から流れるように「一番思考」へと移る時間は、まとまった時間さえあれば、本当に心地の良いものです。最近では、その時間が欲しくてたまらなくなっている自分に驚いています。 そもそも「朝ヨガ」といっても、それほど大げさなものではありません。起き抜けにほんの十分ほど体を動かす、ただそれだけのことです。しかし、そのわずかな習慣が交感神経へのスイッチをスムーズに入れてくれます。そして、その勢いのまま朝一番に脳を動かす活動をすること、それを私は「一番思考」と呼んでいます。 世の中には、こうした儀式がなくても自然にオンとオフを切り替えられる方が多いのでしょう。ルーティンは人それぞれですが、私にとってこの「一番思考」は、時間さえ許せばいくらでも可能性を広げていける、そんな予感に満ちた習慣なのです。 もちろん、現実はそう甘くもありません。残業が続いて時間が押してくれば、やはり眠りを優先してしまいます。週に三日の筋トレを無駄にしないためにも、筋肉の回復に必要な睡眠を確保するのは、当然の選択と言えるでしょう。 仕事に関しては、今ちょうど新しいことに挑戦している最中です。内容自体が非常に興味深く、そちらで多くのアウトプット……いわゆる「くりだし」を行っています。ですから、仕事での頑張りに対しても自分なりの「しれじポイント」を付与して、心のバランスを取るようにしています。自分を甘やかすのではなく、あくまで調整のため、と自分に言い聞かせながら。 この「一番思考」から抽出された言葉をSNSにポストする行為を、私は「今日の一言」として、あえて脈絡もなく放出しています。これは以前お話しした、自分の中に足りない「くりだし」を補正するための案なのですが、やってみるとなかなか面白いもので、今後も続けていくつもりです。思考の出汁(ダシ)を絞り出し、それを放って終わりにすること。この「締め作業」があることで、思考に心地よい区切りがつくのです。 不思議なことに、最近はこの流れが驚くほどあっさりと回り始めました。かつてはあんなに激しく「もう絶対やらない」と否定していたはずの「一番思考」が、です。 なぜこれほどスムーズに回り出したのかを考えてみると、実はその「拒絶」こそがポイントだったのではないかという気がしています。自分の中に生まれた強い禁止の念が、逆説的に回転力を生み出し、大きな「渦」を作ってい...

169. キャティズム

 いつもお世話になっております。近頃の激しい寒暖差のせいでしょうか、急に首の周りや腰に痛みを感じる事があり。実を言えば、今日も少しばかり腰に違和感を抱えております。そんな時は朝ヨガで体をほぐすに限ります。朝からヨガ、と思われるかもしれませんが、おじさんだって健気に嗜むものなのです。 最近はどうも、微妙に血圧が高いのも気掛かりです。寒さや筋トレ、あるいは塩分の摂りすぎや残業など、思い当たるフシはいくつもありますが。調べてみるとそれらが複合的に絡み合っているようで、正解を切り分けるのはなかなか難しいものです。まずは一旦、塩分を控えてみることにしました。お酢は体に良いそうなので、味のパンチはそちらで補おうと思います。胡椒も問題ないようですし、あとはネットでディルでも買い求めてみようかと考えています。 調べてみると、マヨネーズもそれほど悪くはないようですね。青魚にほうれん草、春菊、小松菜、ブロッコリーといった野菜。そしてハイカカオであれば、チョコレートも許容範囲とのこと。塩の代わりに鶏だし顆粒を使おうかとも思いましたが、あれも意外と塩分が含まれているのだそうで。こうして調べたことをすぐに言葉にして「くりだし」することを癖にするべきで。すぐに忘れてしまうからこそ、アクティブリコール、つまり情報の出し入れを繰り返すことで、知識が自分の中に定着してくれればと願っています。 さて、以前から私が大騒ぎしていた「一番思考」についても触れておかなければなりません。これは外山滋比古さんの『思考の整理学』を私なりにだいぶ意訳したスローガンのようなものです。朝一番の脳はポテンシャルが高いのだから、それを贅沢に使おうという試みですね。朝ヨガの後にAIと壁打ちをしたり、FPの勉強をしたりと、使い道は何でも良いのです。とにかく脳を贅沢に使うことが良さそうだと思いながらも、これまでは指をくわえて眺めるだけで、全く実行に移せていませんでした。 なぜやらないのかと言えば、答えは単純で、ただ眠いからです。早起きをしなければならないというのは、なかなかに高いハードルでした。あまりの無理筋に、ついには「もう、やめてしまおう」と心の中で逆ギレに近い誓いを立てたほどです。誰に強制されているわけでもない「一番思考」ですから、いっそ生産的なことへの執着を捨て、心の中で「蕩尽」の炎を燃やし尽くしてみました。「一番...

168. 燃やした札束

Netflixの契約は、6月末までとします。諸々の事情がありまして、一度区切りをつけようかと考えています。サブスクリプションというものは契約が若干ややこしいところがありまして、一時停止ができるのかを改めて調べて、今観ている作品だけは最後まできっちり見届けたいところです。 次のお楽しみは、ディズニープラスを予定しています。アベンジャーズやスター・ウォーズといった名作シリーズを、この機会に一気に浚ってみようと思うのです。ただ、こうしたサービスは往々にして解約の手順が複雑だったり、引き止めの圧が強かったりと、少し身構えてしまう部分もあります。アカウントを一時停止させることが出来ると聞きましたが、一定期間が過ぎると勝手に再開されるとか。私自身、何かと忘れっぽい性質ですので、「解約一択」という強い意志を持って臨むつもりです。 さて、そのNetflixで今、人から勧められるがままに鑑賞しているのが「あいの里」です。大人の男女が里に集い、共同生活を送る恋愛リアリティショーなのですが、これがなかなかどうして、大の大人がくんずほぐれつの人間模様を繰り広げる、実に濃密なコンセプトでして。気づけば私も、シーズン2の途中まで一気に観進めてしまいました。 とりわけ印象的なのが、50代の「ギタりん」という男性の存在です。彼の振る舞いはあまりに純粋すぎるがゆえに、共同生活の中で図らずも不和を起こしてしまう。その姿は、まるで鏡を見ているようで、痛々しくもあり、それでいてどこか他人事とは思えない不器用さを感じさせます。 自分の内側にある「渦」が大きすぎると、どうしても周囲の空気と乖離して、いわゆる「KY」な振る舞いになってしまうのでしょう。個人の渦をどう制御するか、その明確な作法などないからこそ、自分で折り合いをつけなければ外側の輪からは弾き出されてしまう。画面越しに見る彼の「冷却期間」は、見ていて切ないものがありました。 思えば、私自身も若い頃に学ぶべきだった距離感や振る舞いを、今なお完全に習得できているとは言い難いものです。だからこそ、彼のことを笑う気には到底なれません。未見の方には何の話かとお思いでしょうが、この「渦」の観察は実に興味深く、傍観者として楽しむ分には良いですが、当事者にとってはまさに地獄のような時間なのだろうと、かつての自分を思い出して胸が苦しくもあります。 あの年齢になって、な...

167. たまこめる

 「そろそろ、真っ当に取り組まなければならない」と自分に言い聞かせています。果たしてできるのか、いや、やはりやらないのか。そんな逡巡を繰り返しながらも、心のどこかでは「やるんだよ」という強い声が響いています。 まずは自分の中に「渦」を作るところから始めましょう。ゆっくりと、しかし確実に回し始め、次第にその回転を強くして遠心力を味方につける。それはまるで、自家発電のペダルを一生懸命に漕ぎ進めるような感覚です。自分という馬を走らせるために、飼い葉桶にはたっぷりの干し草と人参を用意して。そんな風に自分を鼓舞する導入に、我ながら可笑しさを感じてしまいますが、本人は至って真面目なのです。 しかし、どうにも私は煮え切らない男のようです。何事にも時間がかかり、この腰の重さには自分でも閉口してしまいます。「一番思考」つまり朝一番の冴えた脳で考える時間が必要だと分かっているのなら、さっさとやればいいものを、なんだかんだと理由をつけては先延ばしにしてきました。 厳密に言えば、布団の中で自問自答を試みたことは何度かあります。けれど、温かな布団の中で思考を巡らせるというのは、結局のところ二度寝へのカウントダウンに過ぎません。これでは到底、真っ当な思考など望めないのは明白です。やはり、朝のヨガで身体をしっかりと起こし、交感神経を優位に切り替えてからスイッチを入れる。そうして、しっかりと向き合いたいものだと思っています。 外山滋比古さんの名著『思考の整理学』でも説かれている通り、朝の脳は実にフレッシュで、最高の状態にあります。私の解釈は随分とはしょった、浅い意訳かもしれません。もっと詳しく、深いことが書かれていたはずですが、要するに「朝の脳は良い状態にあるのだから、それを取り入れない手はない」と、自分なりに納得させているのです。 やりたいと思いつつ、まだ一度しか実行できていない現状を打破するために、朝のヨガを含めた一時間をその時間にあてようと決めました。以前、私は「一番思考なんてやらない」と強く宣言したことがありましたが、不思議なもので、一度強く拒絶すると、その反作用でまた欲求が湧き上がってくるものなのですね。 「やらない」と激しく反発してみせたのも、所詮は予定調和のプロレスのようなものだったのかもしれません。リングの上で派手に暴れてはみましたが、結局のところ会場の外へは一歩も出ていな...

166. ホッピング

 暦の上では春の足音が聞こえてくる頃ですが、現実はそう甘くはありませんね。一旦は緩んだかのように見えた寒さも、録音している今が二月の中旬ということもあって、やはり芯から冷える毎日が続いています。 最近の私といえば、外出時の靴下用カイロが手放せなくなってしまいました。といっても、これは自転車に乗る時限定の話なのですが。仕事の帰り道、真夜中に自転車を走らせていると、手足の指先の感覚が次第に遠のいていくのが分かります。手の指先は二重の手袋でなんとか誤魔化していますが、足の方はそうもいきません。靴下の二重履きはもちろんのこと、つま先に貼る専用のカイロという素晴らしい文明の利器を導入し、「ああ、まだ足は凍っていないな」と生存確認をする日々です。時折、マメに指をグーパーと動かして血流を促さないと、冗談抜きで壊死してしまうのではないかと気が気ではありません。手を上下に大きく振るのが効果的だと聞き、半信半疑で試してみましたが、いくらか効いているような気もいたします。 自転車といえば、この四月からはいよいよ「青切符」の制度が始まりますね。反則金を取られるのは、やはり気分の良いものではありません。自転車が原則として歩道走行不可であることは承知していますが、トラックが激しく行き交う狭い県道の、しかも高低差100メートルもある上り坂を車道で走るのは、なかなかに勇気がいるものです。渋滞を招くのも心苦しいですし。そこでふと思い立ち、ストリートビューで確認してみたところ、幸いにも自転車走行可の標識を見つけることができました。区間指定のないパターンだったので少々不安は残りますが、きっと大丈夫でしょう。もし何かあれば、ネットの知恵を拝借して冷静に対処しようと考えています。田舎道ゆえの長閑さに期待したいところですね。 そんな寒空の下でも、月間220キロの走行距離や筋トレ、朝のヨガといった習慣はなんとか継続できています。以前お話しした「馬と御者」の例えで言うところの、私の内なる「お馬さん」が頑張ってくれているおかげです。「ご飯を美味しく食べたい」という切実な動機が、私の原動力であり「こころざし」そのものになっているわけですが、どうにも今回ばかりは「一番思考」が捗りません。「一番思考」とは、早起きして朝ヨガを終えた後の貴重な一時間を思考に充てることなのですが、正直に申し上げますと、ここ最近はたった...