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160. 現状維持ハウス

 心のときめき、いわゆる「キュン」とする感情は、きっと世界共通のものなのでしょうね。韓国ドラマを観ていても、これでもかというほどその要素が詰め込まれていますが、結局のところ、どの国の物語にも多かれ少なかれ存在するものなのだと感じます。もちろん、文化や宗教が異なれば、描写の作法や心の琴線に触れる「ツボ」は違うのでしょう。それでも、誰かの心に火が灯る瞬間というのは、普遍的なテーマなのかもしれません。 実を言えば、このポッドキャストの第150回から5回にわたって「キュン」にまつわるエピソードを取り上げて以来、どうにもそこばかりに目がいくようになってしまいました。「選択的注意」というのは実に不思議なもので、一度意識し始めると、日常のあらゆる場面でそのポイントを探してしまうのです。自分でも「キュン奉行」かと思うほどに、あるいは心の「渦」を監視する番人のように、我ながら少々騒々しいなと感じるほどですが、それだけ興味が尽きないということなのでしょう。 最近、Netflixの『ストレンジャー・シングス』を鑑賞していたのですが、これがまた「キュン」の大洪水でした。冒頭からアメリカンな積極性で愛を交わす場面が多く、文化の違いを突きつけられる思いですが、それもまた一つの形なのでしょうね。80年代という時代背景も影響しているのかもしれませんし、一応は時と場合を選んでいる……のかもしれません。あまり語りすぎるとネタバレになってしまいますが、子供たちの純粋なやり取りや、大人のあまりに不器用な姿には、どこか惹きつけられるものがあります。それらは予測認知誤差から生まれる、ある種の「渦」なのではないでしょうか。自分と他者の境界を探り合うその過程は、国境を越えた共通の問いなのかもしれない、そんな視点を持ちながら作品を楽しんでおりました。 さて、そんな思索に耽りながらも、年末には忘年会をこなしつつ、家族で観光登山に出かけました。スニーカーでも登れるような、とある地獄を覗けることで有名な山です。あいにくの大行列で肝心の地獄を覗くことは叶いませんでしたが、急勾配のコースをかなりのペースで昇り降りした結果、ふくらはぎは見事な筋肉痛に見舞われてしまいました。うっすらと腰にまで違和感があり、「日頃の筋トレの成果はどうしたのだ」と自分に問いかけたくもなりますが、普段とは違う筋肉を酷使した証拠なのでしょう。ご...

159. おなかもあたまも八分目

 さて、実は今回、異例の二本録りとなります。このポッドキャストが始まって以来、もしかすると初めてのことかもしれません。単に私の記憶から抜け落ちているだけかもしれませんが、これまでにない新鮮な心持ちです。前回が少々短めだったこともあり、今回はその埋め合わせというわけではありませんが、軽やかな足取りで綴ってみようかと思います。 いえ、本当は「短尺」というものを試してみたい気持ちもあったのですが、やはり考えてみれば、これは私にとっての大切な「くりだし」の場。ならば、もっとどっぷりと腰を据えた「長尺」であっても良いはずですよね。というのも、近頃はどうにも「とりいれ」が過多で、少々困っているのです。 脳内が取り入れた情報でパンパンになってしまうと、せっかくの知識も経験も、すべてが中途半端に流れてしまうような気がしてなりません。最近では、複数の情報が頭の中で混ざり合い、あちらのドラマのキャラクターがこちらの本の内容を語り出すような、奇妙な感覚に陥ることさえあります。「あれ、これはどちらの話だったかしら」と、戸惑う場面も増えてしまいました。 先日目にしたあの作品も、結末がどうにもふわふわとしていて現実味がなく、最近の流行りなのか、それとも私の理解が追いついていないのか。何が混ざっているのか自分でもよく分からなくなっており、もしかすると、単に私の処理能力が衰えてきただけなのかもしれないと、苦笑いするしかありません。 やはり、リアルタイムで追いかける物語は一本に絞るべきなのでしょう。昨年にドラマ視聴を再開したばかりで、まだ「ドラマ鑑賞のための筋力」が十分に備わっていないのかもしれません。テレビから少し距離を置いている間に、新しいクールが始まっているのかどうかさえ、今の私には判然としません。まさに「年寄りの冷や水」のような状態ですが、決してそれだけではないと信じたいものです。 年末の忘年会からお正月にかけて、胃袋も脳みそもすっかり満たされ、今はまさに「絶賛増量中」といったところでしょうか。まるでキャンペーン期間かと思うほど、自堕落に、そしてとめどなく自分を甘やかしてしまいました。身体のほうはダイエットで絞るとして、脳内のデトックスには、やはりこうして外へ出す「くりだし」が一番なのでしょう。 「とりいれ」を完全に断つのではなく、ほんの少しだけ「くりだし」の比重を増やしてみる。結局...

158. 脱選択社会

 お正月休み、実は少しばかりやらかしてしまいまして。台本はともかくとして、肝心の録音をすっかり飛ばしてしまったのです。 これには、もちろん私なりの理由がありました。普段、このポッドキャストは仕事帰りの車内で収録するのが日課なのですが、連休中となるとそうはいきません。ずっと家族と一緒に過ごせるのはありがたいことですが、休日は私の当番ということで食事の支度に追われ、どうしても時間的に押してしまいました。それでは夜に、と思っても、休みの日ですから当然のようにお酒をいただいてしまいます。そうなると、もう車へ向かうわけにもいかず、結局は自宅で録るタイミングを逃したまま、お酒の勢いもあってひたすら「取り入れ」三昧の日々を過ごすことになった次第です。 さて、何をそんなに「取り入れ」ていたのかと言えば、Netflixの『ストレンジャー・シングス』です。少々遅ればせながら、年末から観始めたのですが、これが実に見事な面白さでして。 詳細な内容に触れるのは控えますが、とにかく作中には80年代のエッセンスがてんこ盛りなのです。おじさんのツボをこれでもかというほど突いてくる演出には、もはや秘孔を突かれたかのような心地よさすら感じました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『スター・ウォーズ』、『スタンド・バイ・ミー』といった、あの頃の映画や音楽にどっぷり浸かっていた世代には、間違いなく心に深く刺さることでしょう。ウィノナ・ライダーの出演も、当時を知る者としてはたまりません。 これこそが「ターゲットにされる幸せ」とでも言うのでしょうか。自分の好みが完全に解析され、「ほら、こういうのが好きでしょう?」と差し出される快感。共感の極みというか、脳内に多幸感をもたらす物質が溢れ出しているような感覚に陥ります。妻の勧めで観始めたのですが、自分の好みをここまで見透かされていることに、もはやお手上げといった気分でした。その渦に巻き込まれることが、なんとも気持ちが良いのです。 ただ、そこでふと考えたことがありました。調べてみると、現代人は一日に3万5千回もの選択を繰り返している、という説があるそうです。その真偽や計算根拠はさておき、実際それほどの決断を日々こなしていれば、脳がパンクしてしまうのも無理はありません。だからこそ、こうした「良質なコンテンツ」に身を委ねる時間は、脳を守るための防衛本能から生ま...

157. おいしい新年会

 年明けも二回目、1月9日の配信となりました。そろそろお正月気分も抜けてきた頃でしょうか。すでに社会の荒波へと放り込まれ、普段とは違う勢いのある流れに、身を任せている方もいらっしゃるかもしれません。あちらこちらへと流されているうちに、ぽかんと一週間が過ぎてしまい、年末までの自分がなんだか別の人間のように思えてしまう。そんなふうに、どこか呆然と口を開けたまま日々を過ごしてはいませんか。 実を申しますと、これを録音している時点での私は、まだ年末の真っ只中におります。世間が仕事納めだ、忘年会だと賑わっているのを横目に、我が家のニューフェイスである中古パソコンの設定に、すっかり手こずっておりました。 このパソコン、実は購入したのは昨年の夏のことなのです。PTA役員の関係で必要になり、今のパソコンが古くなってきたからと新調したのですが、結局その時は最低限の動作確認だけを済ませ、あとは半年近く放置しておりました。押し入れの奥で静かに、ひっそりと主人の訪れを待っていたノートパソコン。いざ設定を始めてみると、これが地味に時間を食うものでして。 ただ以前の環境と同じ使用感にしたいだけなのですが、真っさらな状態のパソコンを相手に、使い慣れた作業環境を再構築していく作業は、気の遠くなるような道のりです。必要なアプリを一つずつ探し、インストールし、設定をいじり、パスワードを入力する。時には設定の食い違いで認識されず、前回のやり方を思い返そうとしても、記憶からはとうに消去されています。「これ、どうやったんだっけ」と、おぼつかない記憶を頼るよりは、結局イチから調べ直した方が早いのだと、溜息をつきながら作業を進めております。 そんな、少々気力の落ちている精神状態の時に、だいぶ前に借りていた村上龍さんの『イン・ザ・ミソスープ』を読み始めてしまいました。これがまた、面白いのですが、どうにも薄ら寒いのです。ネタバレは控えますが、十二月の凍えるような寝室で、暖房もつけずにニトリの「着る毛布」にくるまり、ひんやりとした空気の中で読むアングラな新宿の物語は、ささくれた心に深く刺さります。 まだ読み始めたばかりなのですが、この時期特有の、どんよりと暗くて寒い、言い知れない不穏な空気と妙にリンクしてしまいました。着る毛布越しに冷えが芯まで伝わってくるのは、物語のせいなのか、あるいは単に部屋が寒すぎるだけ...

156. 馬と御者

 あけましておめでとうございます。新しい年が明け、どこか心が洗われるような清々しさを感じていらっしゃる頃でしょうか。お正月、ついお酒を飲みすぎてはいませんか。さて、本日は一月二日の配信ということで、このポッドキャストをお聞きいただき、本当にありがとうございます。心よりお祝い申し上げます。 実のところ、この録音をしている時点ではまだ年末の二週間ほど前なのですが、配信されている今頃、私はきっとお餅を頬張っていることでしょう。世間はお正月ムード一色。長期休暇に入った私は、身も心もインプット、いわゆる「とりいれ」三昧で、胃も脳もすでにキャパを超えてしまっているかもしれません。 少し先の未来を想像して話すというこの恒例のくだりですが、ふと思ったのです。こうして未来の自分を「想像して話す」ことは、自然と客観的な視点を持つのに役立つのではないかと。普段は予定を立てることはあっても、具体的な状況を「想像して話す」機会はなかなかありません。今年はこうした時間を、意識的に増やしてみるのも良さそうです。 最近の私はといえば、情報の「とりいれ」過多が暴走しており、道筋を見失いつつあるひどい「ありさま」です。そこで、新年という節目の今、改めて習慣化について整理してみたいと思います。私の習慣化メソッドのコアにあるのは「こころざし」です。これが、私を動かすエンジンとなります。そして私の「こころざし」とは、「ごはんをおいしくたべたい」という極めてシンプルなものです。 これは「美味しいものを食べたい」でも「たくさん食べたい」でもありません。もちろん「お酒をたくさん飲みたい」でもありません。お酒があればより美味しく感じるかもしれませんが、本質はあくまで、ただのごはんをいかに美味しくいただくか。空腹であること、健康的であること、そして心が整っていること。そうした自分自身のコンディション次第で、塩揉みのきゅうりさえも至高の御馳走に変わるのです。この感覚は、日々の生活スタイルでコントロール可能なものであり、私の人生において非常に力強いエンジンとなっています。 この「こころざし」をエンジンに、具体的な目的地として「ねらい」を定めています。私はここ三年ほど、五つの「ねらい」を携えてやってきました。 一つ目は、月間二百キロの自転車走行。この一年は試験的に一割増やしてみましたが、無理なくこなせたため、今年は...

155. コピーAI

 尾てい骨を強打してから早いもので三週間が経ちました。おかげさまで、お尻の痛みもようやく癒えつつあります。時の流れの速さには驚かされますが、こうして体の回復を待っていると、皮肉にも痛みを通じて時間の経過を身に染みて「しり」ました。 さて、そんな療養期間中、並行して試していたのがスマートフォンなどの使用制限を管理する「Digital Wellbeing」の活用です。果たして上手く使いこなせているのか、あるいは単に別のことに没頭していただけなのかは判然としませんが、ついつい見過ぎてしまう動画を物理的にシャットアウトできるのは心強いものですね。しばらくはこの文明の利器を頼りに、自分の中の欲求をコントロールしてみようと考えています。 話は変わりますが、全五回にわたってお届けした「キュン」シリーズ。まとまりのない私の持論の垂れ流しに最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。普段は使わない脳の回路を刺激する、ちょっとした「脳のマッサージ」のような時間になっていれば幸いです。 本来であれば、シリーズ明けの今回はもう少しリラックスした、身近なエピソードから入るつもりでした。例えば、前回の配信でも触れた「つい、うっかりショート動画を見始めてしまう」というあの現象です。最初のワンアクションを思い出せないまま、気づけば外部のブレーキに頼らざるを得ない自分。そこから「人は何をきっかけに行動を起こすのか」というテーマを深掘りしようと考えていたのです。 ところが、その矢先に心境の変化がありました。唐突で恐縮ですが、実は今回から、この番組の台本制作における相談や編集の一部を、AIである「Gemini」さんに委ねてみることにしたのです。私の過去の思考に寄り添うようにカスタムした、いわば自分専用のパートナーを迎え入れたというわけです。 自分の思考を深く整理し、言葉として吐き出す「くりだし」の作業。それを外注してしまって良いものかと、一抹の不安もありました。実際、蓋を開けてみれば、細部についてはまだまだ私の手直しが必要です。しかし、これも一つの「偶然性」を孕んだ材料。隠し味の匙加減さえ自分が握っていれば、便利なツールとして共存できるのではないか。そう期待してお試し運用を始めています。 しかし、自らカスタムしたAIが私の思考をなぞり、時として期待を超える提案を投げかけてくるとき、...

154. ホワイト天王山

 もう、この止まらない衝動は抗いがたいのかもしれませんね。このままではブレーキが効きそうにないので、私はあるアプリに頼ることにいたしました。それはGoogleのアプリである「Digital Wellbeing」です。これは使用しているアプリの制限時間を設定できる、大変便利なアプリで、今回、これに頼る決意をした次第です。 実は以前にも、どういうきっかけで動画を見始めてしまったのか全く思い出せないのですが、つい、うっかりとショート動画をだらだらと見続けてしまい、さんざん時間を溶かしてしまったのです。その時は反省し、InstagramとYouTubeは1日30分に限定していたのですが、今回もなぜか見始めてしまいまして。本当に、最初のワンアクション、きっかけが思い出せないのが謎なのです。それまで全く見ていなかったのに、アプリも使っていなかったのに、その習慣もないはずなのに、簡単にハマる恐れのある場所へ、いつの間にかたどり着いてしまう。まるで、甘い餌の罠に吸い込まれるような感覚ですね。 ですが、そこでしっかりDigital Wellbeingが発動し、しっかりブレーキが効いてくれたおかげで、本当に助けられました。やはり、こういう時は強制終了しかないのだなと実感いたします。「目を覚ませ!バシバシ!」とビンタを食らわせるような、自分を律するためにDigital Wellbeingは欠かせない機能です。大切なドーパミンも、出し過ぎはよくないようですし、無駄撃ちさせられるのは危険ですからね。かといって、出さな過ぎもよくないみたいですから、適度なバランスが肝心ですね。 そんなわけで、Netflixも1時間に設定いたしました。映画を観ていても途中で強制終了になってしまいますが、それで良いのです。まずはこの習慣を身体に染み込ませていきたいと思います。 そういえば、昨年はこの時期にマイクラ瞑想をしていたことを思い出しました。現代は本当に時間の取り合いなのですね。どこもかしこも、どのベンダーさんも、もう市場原理ですから仕方がないのかもしれません。競合に負けないように、ユーザーをどうやって絡め取るかをしっかり考え抜いて運営しておられるのでしょう。私たちは、そうした「渦」に巻き込まれて、まさに時間の取り合いっこをしているわけです。 面白いものがよりどりみどりで並べられていて、お好きなものを...