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185. 空気の成分

 相変わらず時間がなくて、どうしてこんなにも忙しいのだろうとため息が出る。でも最近になって、ふと気づいたことがあるのだ。早起きの1時間は恐ろしいほどに仕事が捗るということを。寝しなよりも起きしなの方が、脳の回転が圧倒的に早い。それがようやく分かっただけでも、早起きを始めた甲斐があったというものだ。 のび太くん並みに一瞬で寝つける特技は、いつから身についたものだろうか。学生の時は常に眠かったし、社会人になってからも……いや、社会人という響きは、なんだか今でも少ししっくりこない気もするが、まあいい。社会人になってからも、私は相変わらず毎日眠い。いくらたくさん眠っても眠気がおさまらないのだから、単純な睡眠不足というわけではないのだろう。それなのに、どこかエネルギーが足りていないような感覚がずっとつきまとっている。 だからこそ、特に夜中に作業をしようとすると、どうしても睡魔に負けてうつらうつらと寝落ちしてしまう。そのため、夜の時間は「とりいれ」の作業に充てることにしている。これなら万が一寝落ちしてしまっても、大勢に影響はないからだ。そして、脳が冴える「くりだし」の作業は朝に回す。そうやって工夫しながら、日々の時間をつくり出している。 そう、朝は終わり時間がしっかりと決まっているというのも、作業が捗る大きな理由なのだろう。ただ脳がフレッシュというだけでなく、制限時間が強制的に設けられているからだ。なにしろ、家族の朝ごはんを作らなければならないという重要なミッションがある。毎朝同じ時間に家族が学校や会社へと向かい、そうして私たちの社会は成り立っている。人間の社会も、動物たちも、太陽の動きや自転・公転のリズムに寄り添って生きている。 地球という強烈なリズム、つまり時間というドデカい渦に私たちは巻き込まれている。毎朝スマホのアラームで無理やり起こされているだろうか。それとも、窓から差し込む柔らかな光で自然と目を覚ますだろうか。なんだか後者の方がおしゃれだし、それが本来のベストな生き方な気がしてしまうのはなぜなのだろう。ラジオやテレビも、毎日変わらぬ同じリズムで放送を届けてくれている。 夏至の時期も冬至の時期も同じように時は流れ、逆にそうした人工的なリズムに合わせることが、どこか違和感や無理をしているように感じられることもある。今さら何を当たり前なことを、と思われるかもしれな...

184. 空っぽ

 サッカーのワールドカップ、ブラジルの強さには改めて圧倒されました。隙を全く許してくれないあの感じ、選手全員が圧倒的な個人技を備えている上に、隙が生じた瞬間の動き出しが非常に有機的です。誰もぼんやりしていないというか、反射速度が常人の域を超えていて、考えるより先に体が反応しているような凄みがありました。もちろん日本の選手たちも相当に速いのですが、絶対的な局面で一瞬のうちに勝負を決めてしまう怖さには、ただただ驚かされるばかりで、どうすればあそこまでの境地に辿り着けるのかと途方に暮れてしまいます。 予選のチュニジア戦は見ていて最高に楽しかったですね。たくさんゴールが決まる試合はやはり心躍るものです。しかし、決勝トーナメントに進んでの初戦、ブラジルはやはり格が違いました。その中で、日本の先制点を決めた瞬間は本当に素晴らしく、内容も全体的に悪くはなかったのですが、やはり埋めがたい差を突きつけられたような気がします。それでも、あわよくば勝てるかもしれないという予感を感じさせてくれた時間は、見ていて純粋に楽しいひとときでした。予選のオランダ戦についてはまだ見ていないのですが、結果を知ってしまった今となっては、もう見なくてもいいかな、なんて思ってしまいます。 そういえば、1998年のフランスワールドカップの頃の情熱はどこへ消えてしまったのでしょうか。当時は夢中になって、他国の試合も含めてすべて見ていました。確かWOWOWで全試合放送していて、わざわざ加入してすべてビデオに録画した挙句、本当に全部見たんですよね。あの頃は金銭的な余裕はなかったけれど、驚くほど時間だけはありました。今振り返ると、あれだけ情熱を注げた時間が懐かしくもあります。 今はといえば、仕事も忙しく、他にもやりたいことが山積みです。最近はDisney+で『マンダロリアン』や『ボバ・フェット』を楽しみつつ、MCUのマルチバース・サーガ関連の作品を片っ端からチェックしているため、とにかく時間が足りません。情報をインプットしすぎて、明らかに「取り入れ」過多な状態です。そんな中で大きな地震があったり、ダブル台風がやってきたりと、なんだか世の中が慌ただしく、忙しなさばかりが募ります。 それでも、日々の習慣は何とかして続けていきたいと考えています。その時々の状況に合わせて強度のコントロールはしつつも、やはり時間が詰まっ...

183. 亀の甲

 最近、SITを取り入れてみています。スプリント・インターバル・トレーニングの略で、100%出力の激しい短時間の運動のあとに長めの休憩をとる、というサイクルを3回繰り返すトレーニングです。 自転車通勤の最中に、このトレーニングを実践しています。具体的には、交通量の少ない見晴らしの良い田舎道の直線で、20秒間だけ最大出力で漕ぎます。大体時速22~23kmからカウントを開始し、最後には35kmを超えてフィニッシュするような強度です。行き帰りの両方でやることもありますが、なかなかの疲労感なので、帰りだけでも十分かなとも感じています。 以前だったら、はあはあぜいぜいと息が上がってしまいそうな強度ですが、最近は不思議と呼吸の乱れが少なくなりました。単に身体が勝手にリミッターをかけて加減しているだけかもしれませんが。水泳だとリミッターが効かないような感覚があるのはなぜなのでしょう。筋肉を使っている割に酸素が足りないからなのか、水泳はやはり疲れますね。そういえば、いつの間にかスイムセットを揃えようと思っていたこともすっかり忘れていました。 さておき、SITによって地道にミトコンドリアが増殖してくれていれば嬉しいものです。質も高めたいので、オートファジーを活性化させるために食事を抜くことも並行すべきかなと考えています。ただ、最近は身体のあちこちに、かすかな違和感を覚えることもあります。膝や肋骨の奥深く、身体の内側に感じる言い知れない重さというか、極小の炎症のような感覚です。そのため、最近は通常の筋トレであるダンベルランジを控えめにして、身体を回復させることを優先しています。回復に時間がかかる年齢になりましたから、自転車も筋トレもない日を挟むならフルで行いますが、前日にどちらかをした場合は控えるようにしています。 振り返れば、週3回の筋トレも最初はダンベルなしで始めました。ひょんなことから手に入れたダンベルを片手4kgからスタートし、6kg、8kgと少しずつ増やしていき、気づけば今や最大の10kgになりました。半年くらいかかったでしょうか。時が経つのは本当に早いもので、つい忘れてしまいます。 10kgになってからも随分と長く、ずっと同じことを繰り返しているようなマンネリ感に襲われることもありました。しかし、こうして振り返ってみると、実は地道に少しずつ、微妙にグレードアップして...

182. 世界の記憶

 相変わらず時間がない日々を過ごしていますが、それでもDisney+には平日制限をかけて、なんとか睡眠時間を確保しています。その浮いた時間を自由時間として、読書も少しは取り入れられるようになりました。ただ、寝しなの「くりだし」はどうも腰が重く、最近は思い切って早起きにシフトしました。今のアラームは5時10分です。そこから調子が良ければ朝ヨガを10分、これは継続できています。 そこからの「一番思考」が、私の大切なルーティンです。外山滋比古さんが提唱されている、朝は脳がもっとも冴え渡るゴールデンタイムなんだというお考えを活かして、早起きして「くりだし」メインの思考活動を行っています。朝ヨガと合わせて1時間の思考活動をもって、自分の中で「くりだしポイント」を2ポイント加算する仕組みです。急にポイントの話が出てきて恐縮ですが、私は自分自身にポイントを与えて管理しています。スマホのスプレッドシートでしっかりと記録しているのですが、今のところ溜めたポイントで何をするかは決めていません。ただの習慣化の道具ですが、意外と効果的で、自律的に機能しています。今のところ。 そういえば、朝の「くりだし」で「コイン集め」と称した副収入行動をとるという目標はどうなったかというと、これがまだうまく働いていません。以前、なぜうまくいかないのか思考実験してみたところ、それは「放屁」のせいだという結論に至りました。渦を回すには「放屁」これは独自の用語です。つまり目標に向かうための姿勢というか取り組みの事なんですが、それが重要だということ。45度の角度にぶっ放す。あらためて意識して取り組まないといけませんね。 さて、少し話が脱線しましたが、平日にDisney+を観られない分、週末になると結局たっぷりと観てしまうのはお決まりのパターンです。締め付けすぎると反動が来るというのは、よくある話ですよね。自分でもわかっていたはずなのですが、ここ最近はすっかりMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の沼に浸かっています。 2019年の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』まで、サノスという強大なヴィランと戦う「インフィニティ・サーガ」という大きな物語がありました。フェーズ1から3まで丁寧に積み上げられた重厚な物語です。それが終わってからはコロナ禍ということもあってか、2020年は丸一年あいてしまい...

181. フィーディング

 時間が足りない、足りないなどと嘆いていますが、結局のところ配信サービスを眺めて過ごしているのが原因なのでしょう。本当に、どうしたものかと思います。例の「続けて再生」される機能のせいで、うっかり寝落ちしてしまい、翌朝に巻き戻して同じ箇所を見直すなんてことが日常茶飯事です。 もともと私は群像劇が好きなので、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の世界観にはすっかりハマってしまいました。あちこちに散りばめられた伏線が見事で、少し違和感を覚えたシーンが後になって鮮やかに回収されるたび、見事にやり込められた気分になります。「この人は一体誰だろう?」と疑問に思った人物が、後々になって重要な繋がりを見せてくる展開には、ただただ脱帽するしかありません。 MCUシリーズも直近になると、ついにマルチバースという概念をぶっこんできましたね。ドラマシリーズの『ロキ』では、時間をテーマに枝分かれした世界が描かれましたが、私の直感では、まさにこの「枝分かれ」こそがマルチバースの正体ではないかと思っています。うまく言語化はできないのですが、そういった難解な概念をドラマシリーズが丁寧に補完してくれるものだから、すっかりその魅力に絡め取られてしまっているわけです。 海外ドラマの面白さにヤミツキになっている現状には、少々危機感も抱いています。これではいけないと、ようやく視聴時間を制限することに決めました。Disney+の設定を見直して、一日に一時間まで。今の私には、これしか選択肢が残されていません。 結局のところ、自分で能動的に選び取っていないのが一番の問題なのでしょう。プラットフォームが勧めてくるものをただ受動的に摂取し続けるだけでは、いわば「そうさせられている」に過ぎません。自分から情報の海へ打って出なければ、いつまで経ってもこの泥沼からは抜け出せないのですから。まったく、困ったものです。 今回の思考実験は「フィーディング」 自分で美味しいものを探して選んでいる実感はある。しかし結局、目の前に差し出されたスープを喉に流し込んでいるだけかもしれない。感情をシステムに委ねたとき、私たちの心のよりどころはどこに存在するのか 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/oJ9tXDkYAjK...

180. さざなみ

 「いどばた」という名のサーバーで、管理人を務めております。急に何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、このポッドキャストとは基本的には何の関係もありません。ただ、私が「しれじ」という名前でサーバーの主、いわゆる鯖主をしているというお話です。場所はDiscordですね。 このサーバーを立ち上げたきっかけは、正直なところ少し忘れてしまいました。ただ、コミュニケーションについていろいろと考えを巡らせた結果、生まれたものなのだろうと思います。そこには、私のエンジンでもある「ごはんをおいしく食べたい」あるいは「まじめにふざけたい」という「こころざし」が息づいています。「ごはん」の方にはあまり直結していないかもしれませんが、「ふざける」という要素には通じているので、良しとしましょう。 コミュニケーションといえば、通勤の車中というのは一人の時間が確保できる貴重なタイミングですよね。会社に泊まり込まない限り、こうした自分だけの時間は毎日必ずやってきます。かつては社畜のように会社へカジュアルに泊まり込む時代もありましたが、今では到底考えられません。深夜の帰宅ですら心身にこたえるものですし、何よりそうした働き方自体が、今の自分の感覚からはどこかズレているように感じます。 そんなふうに運転中の一人きりの時間や、ふとした手持ち無沙汰な瞬間を、すべて内省に充てるのではなく、もっと有効に活用できないだろうか。そんな着想から「いどばた」は始まった気がします。立ち上げ当初の細かい記憶は定かではありませんが。 あらためて説明すると、Discordというのは音声チャットのためのアプリです。元々はゲームプレイ中のチャットツールだったのでしょうが、無料かつ高機能でユーザーも多いため、今回のような場を作るのには最適でした。LINEでもチャットは可能ですが、目的に照らしてDiscordを選んだ形です。サーバーといっても、難しいことはなく、一つのグループのようなものですね。 「いどばた」は、スキマ時間にふらっと立ち寄って、気軽に話せるようなサーバーを目指しています。特定のテーマや目的はありません。ノンジャンルで、ただ空いた時間に寄ってみる。そんな気楽な場所です。 構成としては、音声チャットがメインです。顔出しやビデオは不要で、音声だけでもまったく問題ありません。気の向くままに、途中出入りも自由で、...

179. 財布の謝礼

 せっかくですので、少しばかり友人関係という名の「出汁」を引いて、関係性の話を続けようと思います。ずいぶん引っ張るなと思われるかもしれませんが、それも仕方のないことです。仕事以外の人間関係となると、もう持ち合わせがそれほどありませんから。自分にとっての貴重な体験を、こうして言葉にして出汁にするしか道はないのです。 事の発端は、LINEに残した「ごちそうさまでした」という一言でした。奢りと割り切って支払ったはずの1軒目でしたが、自分でも記憶が曖昧で、続く2軒目や3軒目をどう処理したのか、どこか心に引っかかっていました。Aさんからの質問と、そこにBさんの解説が加わり、記憶のキャッチボールが成立してようやく全容が見えてきたのです。ゲストにも連絡をとって状況を確認し、なんとか納得のいく着地を迎えることができました。 そんなふうに、記憶の断片を拾い集める作業をしながら、次回の集まりに向けて準備を進めています。今はまだ軽くさわりだけ情報を集めている段階ですが、次は貸し切りで場所を取って飲み会を開くのも面白そうだなと考えています。ただ、いざ探してみると禁煙のお店が意外に多くて驚かされます。世の中の流れとはいえ、喫煙者の方にも楽しんでもらえる場所を探すとなると、もう少し腰を据えてリサーチする必要がありそうです。どこかに「実は喫煙可能です」なんて穴場が隠れていないかと、淡い期待を抱きながら動いているところです。 それにしても、こうして負債の返済のように飲み会の調整をするのには、どこか座りの悪い違和感が残ります。この心のざわつきや、わだかまりの正体は一体何なのでしょうか。不思議な感情です。もしかすると、自分の芯にあるOSのようなもの、あるいは等価交換を原則とするような、もっと根深い部分から来る影響なのかもしれません。よくわからないままではありますが、今はなんとなくその感覚と付き合いながら、次の準備を進めていこうと思います。 今回の思考実験は「財布の謝礼」 1億円の当選宝くじが入った財布を、当選を調べずに交番に届けた。後日落とし主から謝礼を1000万円払いたいと申し出があった。あなたならどうしますか? 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/VbcPDxqKxtbgkD9G7 ...