199. ゆらめく帷
境界線シリーズも、今回でいよいよ最終話を迎えることになりました。第195回「繭のほころび」に始まり、第196回「皮膚と雨具」、第197回「蚊帳の中」、そして第198回「庭に埋めた小瓶」を経て、今回のお話へとつながってきます。もっとも、本当にちゃんとつながっているのかと問われると、少し怪しい気もいたしますが、そのあたりの加減はご容赦いただければ幸いです。 そうした一連のエピソードを振り返る中で、ふと頭をよぎったことがありました。スマホという存在は、自分にとって「内」と「外」のどちらに属しているのだろうか、ということです。改めて考えてみると、これはもう完全に自分自身の「内」側に入り込んでいると言わざるを得ません。 記憶や視覚の拡張装置として機能しているだけでも十分に大きな存在ですが、それ以上に私たちの思考そのものへ与えている影響の強さには驚かされます。もちろん、スマホを失ったからといって命まで落とすわけではありません。ですが、感覚としては腕の一本でも折れてしまったかのような、かなりの痛手と不自由さを覚えるのではないでしょうか。自分でも相変わらず少し伝わりにくい例えだとは思いますが、それほどまでに切り離せない存在になっているのです。 私にとってスマホは、間違いなく境界線の「こちら側」に留まり続けています。肌身離さず身につけておりますので、どこかに置き忘れることなど今や滅多にありません。バッテリー残量が10%を切ると突如としてただの重石のようになってしまう危うさや、最近のデジタルウェルビーイング機能による強制的な利用制限のおかげで、私はかろうじて正気を保てているのかもしれません。 ……と言いつつ、実は少し見栄を張ってしまいました。先日もDisney+の制限時間を少しだけ延ばして動画を楽しんだのですが、その後リセットし忘れていた設定値を確認してみたところ、なんと「5時間」に設定されておりました。これでは実質的に無制限と変わりありません。本当に情けない限りです。 やはりスマホという存在は、間違いなく、そして完全に私たちの「自我」を侵食してきています。何かの中心核へ滑り込むかのように、甘美な誘惑を伴いながらスッと内部へ侵入してくるのです。強引にこじ開けて入ってくるのではなく、どこまでも滑らかに、あたかもこちらからの要請に応えるような顔をして近づいてきます。自分の意思で自...