196. 皮膚と雨具

 ここ最近、災害がもはやシャレにならない深刻さを帯びてまいりました。線状降水帯が同じ場所に居座り続ける現象について、十二年前の広島における土砂災害の当時は驚きこそしたものの、正直なところどこか他人事のように捉えておりました。しかし、今となってはその脅威が痛いほどよく分かります。あのエリアに身を置くということは、まさにシャワーヘッドが常に自分の方を向き、蛇口全開の水流で延々と噴射され続けているような状態なのです。少し勢いが緩まったところで、まだ水は止まりません。洗面器の水はたちまち溢れ返り、もし排水溝でも詰まっていようものなら、その結末は火を見るより明らかでしょう。

そして不肖わたくしの住まいも、まさにそうした事態に見舞われてしまい、この一ヶ月強の間に駐車場が三度も冠水するという憂き目に遭いました。もう「百年に一度」などという表現は、そろそろ控えた方が良いのではないかとさえ感じてしまいます。仮にそれが事実だとしても、この悲惨な事態が百年に一度なのだと安心していた矢先に、わずか一ヶ月後再び同じ目に遭うなどというのは、あまりにもあんまりというものです。まあ、確かに一度目の被害の方が深刻ではあったのかもしれませんが、地の利や地盤の関係もあり、より甚大な被害へとつながっていくのではないかと不安が募るばかりです。街を歩けば「ここ、ぼちぼち危ういのではないか」と感じられる箇所も少なくありません。「次の大雨で崩落してしまうのではないか」といった不安を抱えつつも、せいぜい注意しながらその脇を通り過ぎるよりほかにありません。なぜなら、まだ通行止めの措置が取られているわけでもなく、コーンやロープが申し訳程度に張られているだけなのです。状況は常に刻一刻と進行しているのでしょう。私たちにできるのは、ただただ警戒心を怠らないことだけです。本当に気が滅入ってしまいます。

そんな緊迫した状況の中、お盆もシルバーウィークもすっかり籠城状態となり、あちらこちらで道路が通行止めに見舞われました。結果として、半ば強制的に「おうち時間」を過ごすことになったのです。まあ、そうした時期にはDisney+の作品群に深くお世話になりました。ほかにも、自身の音楽的嗜好を改めて掘り下げてみたり、AIを活用してみたりもしました。もっとも、こちらの分野にはとんと疎いため、おすすめされるがままに提示されたリストを聴いてみたのですが、これが意外なほど新鮮で面白かったのです。合間にはマインクラフトに興じたり、自家製のスイートポテトを作ったり、そういえば十分すぎるほどの睡眠も確保いたしました。振り返ってみれば、何かと制約のある日々ながらも、心身の栄養となる「インプット」と、表現や活動といった「アウトプット」の双方が、思いのほかバランスよく満遍なく実践できたように思われます。思えば、悪くない時間の過ごし方であったのかもしれません。

今回の思考実験は「皮膚と雨具」

雨の中で雨具と身体感覚が一体化するとき、その人は外界から取り込まれているのか。それとも自分が外界に拡張しているのか。人体と外界の境界線を探る。

以上です。

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