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6月, 2025の投稿を表示しています

129. 急に止まれない

 Sunoが本当に面白くて、すっかりハマってしまっています。ただ、ここ最近は色々と試行錯誤しすぎて、少し停滞気味なんです。 プロンプトで細かく指示を出そうとすればするほど、なぜかめちゃくちゃになってしまうことがあって、何が原因なのか首をかしげてしまいます。むしろ、ある程度ざっくりと直感的に指示した方が、とんでもなく良いものができたりするんですよね。まだまだ奥が深いと感じています。 こうしてああだこうだと言っていないで、しばらくは無心で作業を繰り返して、ちょうどいい加減を探り当てるしかないのでしょうね。とはいえ、やりすぎで生活リズムを崩してしまっては本末転倒です。このあたりの調整が本当に難しいところですね。睡眠不足は避けたいものです。 ここ最近は、やりたいこととやるべきことがぶつかってしまいがちで、なかなか時間が取れません。隙間時間を見つけて、どんどんSunoに触れていきたいところです。 そうそう、前回からこのポッドキャストでも、やりたいことの一つとしてSunoの歌詞作りを思考実験の延長で試しているのですが、私としてはこれがかなりしっくりきています。もしかしたら、お聴きの皆さまにはあまりピンとこないかもしれませんが、しばらくは続けさせてくださいね。このポッドキャストは、私が好きなようにやるのが根幹ですので、どうかご容赦ください。 前回ここで作った歌詞にSunoで曲をつけてもらったのですが、色々な曲調で20曲以上試しても、なかなか納得のいくものができませんでした。日本語の歌詞だと、勝手に繰り返しが入ったり、歌詞の順序が逆になったり、ツギハギになったりすることがあるんです。これ、英語の歌詞だと意味が分からなくて、雰囲気は良くても歌詞のおかしさに気づけないから、かえって危険かもしれません。 今のところ、無料プランで聴くのは自分だけなので特に問題はないのですが、Sunoを内面化のツールとして使う、というのはちょっと変わった使い方でしょうか?でも、自分で作った歌詞であればある程度コントロールできるので、それも良いのかもしれないと思っています。 ただ、Sunoが勝手に歌詞の順序を変えて意味が変わってしまうのは困りものです。そこをなんとかするためにプロンプトを工夫して、思った通りに動かせたら嬉しいですね。本当に何度も試しているのに、「あー!そこでこの歌詞歌っちゃうんだ!」「...

128. 灯台と羅針盤

 最近、SunoというAI音楽生成アプリにすっかり夢中になっています。もっと早く試せばよかったと、遅ればせながらダウンロードして遊んでいるところです。Sunoはリリースされてもう2年以上経つのでしょうか? AIでこんなに簡単に音楽が作れるなんて、本当に驚きです。毎日、作曲できる上限までパンパンに曲を作ってしまっています。作っているというよりは、あっという間にできてしまうという表現の方が合っているかもしれません。音楽に詳しくない私でも、出来上がった曲の完成度の高さには正直感動しています。 きっと、このアプリを触ったことのある多くの方が同じように感じているのではないでしょうか? もちろん、詳しい方からすれば粗が目立って、まだまだ使い物にならないと感じるのかもしれませんね。確かに、細かな微調整は難しそうですし、MIDIのような形式で保存されていないため、楽器の変更や音量、エフェクトなどの凝った調整はできません。 しかし、サクッとある程度の完成度の曲ができてしまうのがSunoの魅力です。この手軽さで十分満足できるものが作れるのですから、すごい時代になったものです。そのうち、MIDI化のような機能も追加されるのではないでしょうか。有料になるでしょうが、それでもこれだけのパワーを持ったものが手軽に使えるようになると思うと、本当にすごいことだと思います。 ここ最近のAIの進化は目覚ましく、音楽だけでなく他の分野でもひしひしと感じています。中途半端な仕事をしていると、すぐにAIに取って代わられてしまうのではないかと、正直怖い気持ちもあります。しかし、全てがAIに置き換わるというのは、さすがにそこまでではないと信じたいところです。とはいえ、この進化のスピードを見ていると、うかうかしてはいられませんね。 AIは膨大なデータを学習し、人間にはできないスピードで処理することで、なんとなく良い感じの出力を生み出しています。しかし、その過程を知らずに結果だけを受け取ってしまうと、見る目や聞く耳がないと「いいじゃんこれ」と簡単に満足してしまいがちです。私のように、これで十分だと思ってしまう人が多数派になってしまう時代が来るかもしれません。 いや、もう来ていると言ってもいいかもしれませんね。よりパーソナライズされた自分好みの曲が作れてしまうのですから。自分で「作れる」と言うのは少しおこがま...

127. 腹と舌と頭

 寝不足は体に良くないですね。わかってはいるものの、ついつい食べ過ぎてしまい、眠りが浅くなってしまうことがあります。ただ、お腹いっぱい食べられたことには満足しています。 「おいしくごはんを食べたい」というこころざしを持っておりますが、なぜか「食事をたくさん食べたい」という欲求が発動してしまうのは不思議です。おいしくて量もあって、しかも自由に食べられるとなると、もう止まりません。その時は確かにおいしいと感じているのですが、最後の方は苦しくなっているかもしれません。それでは本末転倒ですよね。しかも、その結果お腹いっぱいで寝る時に、消化のために内臓が頑張りすぎてしまい、眠りが浅くなるようです。 これではいけませんね。活動量計の睡眠スコアも、低い数値がはっきりと出てしまいます。 最近はそれ以外にも、やることがたくさんあり、睡眠に支障が出そうです。ポッドキャストをやっている場合ではないのかもしれない、と正直思うこともあります。けれども、この習慣は続けたいと考えています。この習慣がないと、どこかフワフワと落ち着かないような気がするのです。 これは強迫観念とは違う、必要な時間だと感じているのでしょう。おそらく、自分で自分を縛っているわけではないはず、、いや、そうなのかもしれません。自縄自縛の感覚がありますね。まるで凧揚げのようです。コントロールするための糸が切れてしまったら、凧は飛んでいってしまいます。そして、そのまま流されて落下する様子が、すでに目に浮かぶようです。 では、私は「凧」なのでしょうか?凧揚げをする側ではなく、凧そのものだとでもいうのでしょうか。たとえが分かりづらく、話がこんがらがってしまいますね。この思考は大丈夫でしょうか。俯瞰して見ることができていないのかもしれません。 それはそれで、なんだか不自然な気もします。 ああ、だから、そうですね。いっそパッと糸を離してみても良いのだと、とりあえず意識だけでもそう思っておきましょうか。それなら自由ですし、選択権は自分にあるということになります。なんなら、時間の縛りもいらない、というくらいの気持ちで。 そう、そういう心持ちで、ギチギチに型にはめる必要はないのだと。遊び心を持って、「ちょうどいい加減」を探していきましょう。本当に、ルールはあってないようなもの、ということですね。 今回の思考実験は「腹と舌と頭」 1. ...

126. 蝶舞蜂刺

 最近、やらなければいけないことが山積みで、思考の時間を後回しにして、とにかくタスクを片付けなければならない状況にあります。わかってはいるのですが、じっくり考える時間が取れないと、まさに今、考えたいこと、材料や準備が整っているかもしれないことでも、一旦ストップして、全く別のタスクに素早く切り替えなければなりません。社会で生きる身としては当然のことかもしれませんね。 思考を後回しにするというのは、まさに会社の仕事で染み付いていることです。ただ、ものづくりやクリエイティブな仕事となると、私の場合、助走が必要なんです。ノリとか、ゾーンとでもいうのでしょうか、うまくセットできると集中して進められるのですが、そこに入るまでの助走にまだバラつきがあるのかなと感じていました。 いえいえ、実は最近、そうでもないという実験結果も出てきているんです。どっちなんだ、という話ですよね。これまでは、というか、ずいぶん長いこと助走がネックだと自己評価していました。それでも一定のパフォーマンスは保っていましたが、自分としてはノリがいまいちで、絞り出すように作業していた感覚がありました。もしかしたら、本当に集中が途切れていたのかもしれません。電話のコールはやむを得ないとしても、背中越しのドアの開閉などが、常にセンサーを起動させていたのかもしれない、なんて思ったりもします。 動物的に見れば、周囲に常に神経を尖らせておくのは、危険回避の面から必要だという解釈もできますよね。そんな学説はないと思いますが、単一の作業に集中しすぎない個体が、人間のグループには必要だったのではないかという仮説も考えられます。なんだか都合の良い解釈をしている気がしますが、物事はもっと複雑ですよね。 いずれにせよ、視線や気配を感じると、本当に集中できなくなるのは事実です。でも、多かれ少なかれ、誰にでもそういうことってありますよね。だからこそ、その性質を逆手にとって、あえてそういう状況を作ってしまうのも一つの解決策だと気づきました。それができない状況では、ゾーンに入るためのトリガーとなる行動を探し、環境から自分の行動を促す工夫をするんです。 当たり前のことかもしれませんが、図書館に行って学習したり、塾で勉強したり、道場で稽古したり、会社に行って仕事をするのと一緒です。突き詰めて考えれば、本来は身につけていなければいけないこ...