2. 蜘蛛の糸 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 20, 2023 まだまだ慣れない2回目配信です。編集をしてみてなんとなく感触をつかみつつ探り探りの日々。その方法をさらっと紹介してます。今回の思考実験は「蜘蛛の糸」1. 天国から垂らされた蜘蛛の糸で地獄から脱出できる2. 垂らされる日時は自分だけしかしらない3. 10人まで荷重に耐えられる4. 天国に着いた者は予告して1年後1人1本さらに蜘蛛の糸を垂らせる 以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせくださいね。 もしくはGoogleフォームからどうぞ https://forms.gle/uvMACfUXMsaXNiDe9 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
119. 急がば回った理由 4月 18, 2025 春がやってきましたね。録音時点は4月の第一週で、暖かい日と寒い日が交互にやってきます。先日、公園へ散歩に出かけましたが、そこはすっかり春の装いでした。木々は花を咲かせ、桜もちらほらと見られます。花粉や黄砂が飛んでいるので、手放しでは喜べませんが、やはり春は良いものですね。 ただ、最近の春は少し手加減を知らないようです。いきなり夏日になったりと、寒暖差が激しくて体がついていきません。本当に驚いてしまいます。着るものでなんとか対応したいと思っています。夜に暑く感じる時があり、少し寝苦しいのが難点です。そういう意味では、まだ寒い方がぐっすり眠れて助かります。 とはいえ、睡眠の質は運動や「マインクラフト瞑想」で改善できるかもしれません。この点についても研究してみたいと思っています。最近、深い眠りを一晩で数回も経験していたので、一回だけの深い眠りでは満足できなくなってしまいました。原因としては、お酒や糖分、食事量が考えられます。食べ過ぎには注意が必要ですね。これも意識して研究していきたいと思います。 とはいえ睡眠の質が良いに越したことはありませんが、それが最大の目標というわけではありません。適当に、簡単にできることならば取り入れていきたいくらいに考えています。いずれにせよ、冬から春への移り変わりは気分を高揚させてくれます。外に出たいと思う人がたくさんいるのは、自然なことなのでしょうか。 これは心理学でいうイド、快楽原則なのかもしれません。重度の花粉症の人には当てはまらないかもしれませんが、おおむね桜は人を外に連れ出す魅力を持っているように感じます。もちろん、人それぞれ感じ方は違うでしょうが、少なくとも私はその魅力に引き寄せられています。アフォーダンスですね。 桜の開花はばらつきがありますよね。同じ公園でも、同じソメイヨシノでも、よく咲いている場所とそうでない場所があります。よく咲いている場所には、たくさんの人が集まって楽しそうにしていました。それぞれが気分良く過ごしている様子を見ると、それも含めて花見の楽しさだと感じ、私も外に出たい気持ちになります。 これこそまさに無意識に、花見が楽しいという「刷り込み」が毎年更新されているのかもしれません。年に一度の行事なので、その楽しさパッケージを翌年には忘れているのでしょう。だから、「桜を見に行く」という行為の中に、楽しい光... 続きを読む
126. 蝶舞蜂刺 6月 06, 2025 最近、やらなければいけないことが山積みで、思考の時間を後回しにして、とにかくタスクを片付けなければならない状況にあります。わかってはいるのですが、じっくり考える時間が取れないと、まさに今、考えたいこと、材料や準備が整っているかもしれないことでも、一旦ストップして、全く別のタスクに素早く切り替えなければなりません。社会で生きる身としては当然のことかもしれませんね。 思考を後回しにするというのは、まさに会社の仕事で染み付いていることです。ただ、ものづくりやクリエイティブな仕事となると、私の場合、助走が必要なんです。ノリとか、ゾーンとでもいうのでしょうか、うまくセットできると集中して進められるのですが、そこに入るまでの助走にまだバラつきがあるのかなと感じていました。 いえいえ、実は最近、そうでもないという実験結果も出てきているんです。どっちなんだ、という話ですよね。これまでは、というか、ずいぶん長いこと助走がネックだと自己評価していました。それでも一定のパフォーマンスは保っていましたが、自分としてはノリがいまいちで、絞り出すように作業していた感覚がありました。もしかしたら、本当に集中が途切れていたのかもしれません。電話のコールはやむを得ないとしても、背中越しのドアの開閉などが、常にセンサーを起動させていたのかもしれない、なんて思ったりもします。 動物的に見れば、周囲に常に神経を尖らせておくのは、危険回避の面から必要だという解釈もできますよね。そんな学説はないと思いますが、単一の作業に集中しすぎない個体が、人間のグループには必要だったのではないかという仮説も考えられます。なんだか都合の良い解釈をしている気がしますが、物事はもっと複雑ですよね。 いずれにせよ、視線や気配を感じると、本当に集中できなくなるのは事実です。でも、多かれ少なかれ、誰にでもそういうことってありますよね。だからこそ、その性質を逆手にとって、あえてそういう状況を作ってしまうのも一つの解決策だと気づきました。それができない状況では、ゾーンに入るためのトリガーとなる行動を探し、環境から自分の行動を促す工夫をするんです。 当たり前のことかもしれませんが、図書館に行って学習したり、塾で勉強したり、道場で稽古したり、会社に行って仕事をするのと一緒です。突き詰めて考えれば、本来は身につけていなければいけないこ... 続きを読む
133. 納得の濃淡 7月 25, 2025 最近、短期間での方針を決める上で、やはり耳から入ってくる情報が大きく影響していると感じています。もちろん、これが本当にそうなのか、あるいは脳内ですでに計画されていることが言葉として出てきているだけなのか、逆の可能性も考えられます。もしかしたら、頭の中にある抽象的な要素を一度言葉にしてみることで、それが具体的な形になりやすくなるのかもしれませんね。このあたりは、どちらが正しいのかは正直わかりませんし、どちらの可能性もありそうです。まあ、どちらでも良いのですが。 そういえば、先日読み終えた本の話はしましたでしょうか? 村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。以前コンビニでアルバイトをしていた経験があるので、とても読みやすく、あっという間に読破してしまいました。自分の経験と重ね合わせながら、解像度がぐっと上がったように感じられて、とても面白かったです。 一方で、筒井康隆さんの「敵」も読み終えました。こちらは少し手こずりましたが、とても興味深い体験でした。描写から、まるで憑依されているかのような感覚になり、思考と現実の境界が曖昧になるような、不思議な読書体験でした。ずいぶん前の作品ですが、今読んでも色褪せない面白さがありますね。 続けて、村田沙耶香さんの「信仰」を読み始めました。読書は自分のペースで読むスピードを調整できるのが良いですよね。当たり前のことなのですが、改めてその良さを実感しています。たとえ途中でキリが悪くても、時間が来たらパタンと本を閉じてしまってOK。その時の気分で自由にできるのが、読書の魅力だと感じています。それは受動的ではなく、よく噛みしめるように読めるのが読書なのでしょうね。漫画もそうかもしれませんが、そちらの方は少し情報量が多い気がします。見させられている感が強いというか。 そうそう、読書を中断する時の「キリが良いところまで」という、自分の中に根強くある目に見えないルールについて、最近興味深く感じています。これ、一体どこから来たルールなのでしょうか? 「この章、あと少しだ」となると、没入感が薄れてしまっても最後まで読んでしまうのですが、それならそこでしおりを挟んで、次読む時はしおりのページの見開きの頭から読み始めるくらいが自然な気がするんですよね。自分でもよく分からない、形骸化したルールに縛られていることがあるのかもしれないなあ、なん... 続きを読む
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