148. 戦士のポーズ
運動会が終わって、正直なところ疲れました。楽しかったのは確かなのですが、やはり終わってみると、どっと疲れが押し寄せますね。気が張っているせいでしょうか。
だいぶ慣れてきたとはいえ、やはり人との関わりは疲れます。最近は、黒子に徹するのが板についてきたように思います。できるだけ自然体で過ごせるようになったかな、と思っているのですが、なるべく自分から視線を逸らすというか、焦点をずらすように心がけているのです。
そう、何も起こさなければ、何も起きませんから。周りの様子は受け止めますが、自分から引き起こすことはしない。「とりいれ」はするけれど、「くりだし」はしない、というスタンスです。そのフォームがわかってきた、と言いますか。さしあたり、接触を避けていれば、何の問題もなく過ごせました。
それでも、顔見知りの保護者の方から声をかけていただくこともありまして、そうなると、おしゃべりをしないわけにはいきませんよね。色々と話をするのですが、やはり「話しすぎたな」とか、「リアクション間違えたかも」とか、「あそこは言葉が足りなかった」などと、直後から脳内反省会が始まってしまうのです。これが、本当に疲れます。
対人でこんなにも気を使うのは、子どもの生活に影響が及ぶかもしれないからです。私個人がどう思われようと、何の問題もないのですが、子どもに良くない影響が及ぶ可能性には、注意を払わなければなりませんから。
焦点をずらす、はぐらかすという、大人としてのたしなみが必要になってきます。自分の話だったら、いくらでもできそうですが、「あんなお父さんだと、子どもがかわいそう」などと、思われてしまう可能性もありますよね。何かあったときに、信頼性を疑われるのでは?とか心配です。難しいことばかり考えなくても良いのかもしれませんが、できれば、子どもに恥ずかしい思いはさせたくないのです。
だから、変なトラブルを起こすのは避けて、穏便に、はぐらかしに徹するのが得策です。自分の話に持ち込むという手もありますが、子どもの話をしたがる親御さんもいらっしゃいます。習い事の話など、意見を聞きたいのか、それとも褒めて欲しいのか、私にははかりかねますので、間髪入れずに褒めます。
その場に子どもがいないのなら、自分の子どもをけなしておくと、たいてい穏便に済ませられます。子どもがいたら、そういう大人の事情を知らずに変なメッセージとして伝わってしまうかもしれないので、それはしませんけども。
以前、自分の子が低学年の頃に、知り合った高学年のお父さんと話していたとき、ひたすらお子さんのことをけなしていて、「そこまで落とさなくてもいいのに」と思ったことがありました。当時は「え?そんなに?」と思いましたが、今ならわかります。私も、そこまでではないにせよ、それなりにけなしますからね。処世術。
これはただ、早いとこ話題を切り替えたい、「自慢話はしませんよ」というメッセージを送っているんですけどね。そう、「私から何もでませんよ」という、はぐらかしです。だいぶ上手になってきました。
でも、もう使うことはないかもしれません。多分、この先そんなに保護者の方々と顔を合わせる機会もなく、残るは卒業式ぐらいでしょうから。
今回の思考実験は「戦士のポーズ」
ある企業で、新人がマニュアルを無視して軽微な情報漏洩を起こした。上層部は『管理上の不備』も認め、社内的には顛末の詳細が報告され、対外的な罰金は会社が全額肩代わりし、新人には何のペナルティも課さなかった。新人は公に責任を問われなかったが、顛末の解釈の共有をもって内外に対し、強い重圧と無形の責任を負わされた。この『謝罪なき許し』は、社会にどのように作用するか?
以上です。
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