143. 白鳥の湖3
睡眠の質を上げたいと思い、最近は特に睡眠に重きをおいて生活しています。
目標は週に1回、7時間半の睡眠を入れることでしたが、できれば週に2回は達成したいと考えています。というのも、最近は他の「くりだし」を睡眠に頼っている状態だからです。決して悪いことではないのですが、なぜか若干の後ろめたさを感じてしまうんですよね。
おそらく原因の一つは、ここしばらく仕事が忙しいことでしょう。仕事の方で「くりだし」的な比重が増えたため、エネルギーのバランスを取ろうとしているのかもしれません。クリエイティブな力が仕事の方で消費されてしまっているのか、というと、それもちょっと違うような気がします。脳内でそんな言い訳を探している時点で、おかしなことでしょう。それを盾にして、「くりだし」をしない理由にしちゃいけません。
しかし正直なところ、不採用通知が続いていて、「もうやだよ」という気持ちが行動を制限する力として働いている気はします。これこそが原因だろうな、と。自然な反応かもしれませんが、せめて1年は叩き上げで頑張りたいところです。半年というのは、わりと一つの節目かもしれませんが。
そろそろ戦略を立て直す時が来ているのでしょう。いい機会ですから、作戦行動にポイントをつけましょう! 例えば、「1時間やったら1ポイント」といった具合に。
これこそが、今の「ありさま」を見て「すじみち」を考え直す行為ですからね。
ところで、わたくしの習慣化メソッドの4つの要素で、「こころざし」「ねらい」「ありさま」「すじみち」と、ずっと「すじみち」という言葉を使っていたのですが、これ「みちすじ」の方が良かったですよね?
「すじみち」というと、あらかじめ決まっていた「正論」のような印象があります。「みちすじ」の方が、もっとありのままの状態のことで、それ自体に良し悪しの価値が決まっていない、ただの単語という感じがしてしっくりきます。ゴルフのパットの「ライン」のような、カップまでの「みちすじ」を見極める作業。
「みちすじ」のほうがしっくりきますよね。じつは、当初から若干そう感じていたのですが、なぜ「すじみち」を採用していたのか、今となっては謎です。その時はしっくり来ていたわけですから、これもまた時間の経過とともに、本来の意味に近づいていくプロセスなのでしょう。
造語ですから、こうやって時間の経過とともに、本来の意味に近づいていくプロセスがあることこそ、まさに「みちすじ」を見極める行為そのものなんですよ。
1年10ヶ月ぶりの変更ですので、慣れるまで言い間違えそうですが、今日から「みちすじ」でいきます。まあ、この用語も自分で使うだけなんですけどね。もし、この習慣化メソッドに興味があって実行してくださっている方がいらっしゃったら、急に名称を変えないでよ、と思われるかもしれません。その場合は、ご自身のしっくりくる言い方をそのままお使いください。これを機に、ご自身の言葉に変えていただくのもいいかもしれませんね。本当に。
今回の思考実験は「白鳥の湖3」
あなたが制作した、ある惑星をモデルにしたオープンワールドのオンラインゲーム。プレイヤーは各自が異なる視点と目的で行動します。
もし、このゲームの「制作者」として、プレイヤー全員の目的を一つにするとしたら、それはどんな目的ですか?そして、なぜその目的にしますか?
以上です。
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