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9月, 2025の投稿を表示しています

142. 白鳥の湖2

 最近「くりだし」のポイント判定が甘くなっているような気がしています。 ポイントというのは、私が独自に設けた判定基準のことです。自分を後押しするために、毎週このポイントを積み上げています。「くりだし」だけでなく「とりいれ」も同時に積み上げており、1週間に1ポイントずつは必ず達成することにしています。 「とりいれ」「くりだし」というのは、ほぼ「インプット」「アウトプット」と同じ意味です。ただ、横文字にするとなんとなくビジネスっぽく聞こえるのが少し気になって、あえて造語で呼んでいます。 その「とりいれ」「くりだし」のうち、特に「くりだし」の基準が最近甘くなっているんじゃないかという疑惑があるんです。というのも、今年の初めに、昨年の目標に上乗せして「エンタメ摂取」と「コイン集め」という2つの必達ノルマを追加したのがこの仕組みの始まりだからです。 何を言っているのかわかりませんよね。すみません、前提から少しご説明させてください。 実はわたくし、昨年の年間目標として、「自転車 月200km」「筋トレ週3日」「20時以降の食事禁止」の3つを掲げていました。これらが無事習慣化できたので、さらに何かできることはないかと思い、今年の初めに先ほどの「エンタメ摂取」と「コイン集め」を上乗せすることにしたのです。 まず「エンタメ摂取」についてですが、昨年の夏頃に観たドラマ「海のはじまり」がすごく面白かったのがきっかけでした。そういえば、わたくしはここ5年以上、ほとんどドラマを観ていなかったなと気づいたのです。なんでこんなにテレビから遠ざかっていたんだろうと思いました。 これは他のエンタメについても同じですが「Tver」の功績はかなり大きいですね。もしこれがなかったら、また観ようとは思わなかったかもしれません。放送から1週間以内なら、好きな時間と場所で観られるのは、ハードルがぐっと下がりますよね。 そこから「エンタメを楽しまなきゃ」という気持ちが芽生えて、ドラマや映画、漫画、本、音楽、スポーツなど、なぜか遠ざかっていたものに再び触れるようになりました。昔はエンタメ大好きだったのになぜだろうと。結局、いまだに理由はよくわかっていませんが、スマホなど、知らず知らずのうちに時間泥棒が潜んでいるのかもしれません。そんな状況に疑問を持ったわけです。今年の初めからは、すごい勢いでエンタメを取り戻...

141. カラスの行水

 最近、すっかり読書にハマっています。Netflixをほとんど見ていないのは、自分でも少し意外なことです。もっと見るだろうと思っていたのですが、どうやら今は読書のほうが自分に合っているのかもしれません。 なぜだろうと考えてみました。本には、作家の表現がより強く出やすいからかもしれません。作者が作り上げた世界観が、ぐっと心に迫ってくるような感覚があります。もちろん、これは制作の裏側を知らない素人としての推測にすぎませんが。 映画やドラマと比べて、本は基本的に一人、あるいは少人数で制作されていますよね。そのため、作家の思考や主張がストレートに伝わってきやすい気がするのです。映像作品の場合、監督や俳優、スポンサー、音楽関係者など、関わる人の数が多すぎて「船頭多くして船山に上る」状態になりやすい、なんてことになってしまうのかと。多かれ少なかれ。 みんなで協力して一つのものを作るのが悪いことだとは思いません。むしろ、それが多様性につながる側面もあるでしょう。しかし、関わる人が増えることで、配慮や忖度が生まれ、本当に言いたいことが言えなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。まさに「言いたいことも言えないこんな世の中」という感じですよね。 多様性を認めることは素晴らしいことですが、同時に言いたいことが言えなくなって、それがかえって表現の自由を狭めているような気もします。一方、互いに言いたいことを主張し合うだけでは、話がまとまらず泥沼になりかねません。そのジレンマを解消するのが、プロデューサーのようなまとめ役の仕事なのでしょう。 ただ、一度関わってしまったら、その「渦」から降りられなくなるサンクコストが発生します。すると、自分の価値観を守るために、匿名の場所で自己主張を激しくしたり、他人を攻撃したりすることがあるのかもしれません。多様な価値観を認めるのが楽な道に思えますが、現実には簡単に変えられないホメオスタシスのようなものがあるのでしょう。 どうしてこんな話になってしまったのか。映画やドラマは小説より周囲への配慮が入りやすいという仮説から、なぜか「表立って言いたいことが言えない世間」の話になり、サンクコストの話まで行き着いてしまいました。 もしかして、みんながそれぞれ自分の乗っている「渦」から降りられずに、もがき続けているということでしょうか。そして、その状況を客...

140. 白鳥の湖

 まだまだ暑い日が続きますね。この文章を録音してるのは8月の最終週ですが、それにしても暑いです。どうやら、この暑さがもうデフォルトになってしまって、世の中が動き出しているような感じがします。ふと「あれ?そうだったっけ?」と思ってしまいます。 京都議定書が制定されたのは、もうずいぶん前のことですよね。1997年のことで、温室効果ガス削減の国際的な目標でした。これは先進国だけの約束だったみたいですね。その後、パリ協定に引き継がれ、2016年に発効しました。パリ協定は、先進国だけでなく途上国も含めたすべての参加国が対象になりました。 目標はさらに広がり、産業革命前の平均気温より1.5~2℃の上昇を保つことを目指す、という内容になりました。これを読んで、やることをもっと絞らなくて大丈夫なのかな、と少し思いました。実際には、目標とする指標があるのでしょうか。国ごとに方針を出すのかもしれませんね。何もないと、なんだか雲をつかむような話になってしまいそうです。 各国が独自に環境に良いことをやればやるほど、経済活動と反比例してしまいそうに思えます。まるでチキンレースみたいになってしまうのでしょうか。崇高な目標に対して、つい経済的な視点が出てしまうのは仕方ないことかもしれません。 アメリカは2017年にパリ協定から離脱しましたね。「アメリカ・ファースト」と掲げて。地球温暖化という概念自体が、中国がアメリカの競争力を削ぐための陰謀だと主張した時は、驚きました。大統領の発言のすごさを感じたものです。なんでしょう庶民的な感覚というか。 そんな状況なので、他の国々も「大丈夫だろうか?」と思ってしまったのではないでしょうか。しかしその後、アメリカは国としてではなく、各州の知事が集まった「アメリカ気候同盟」という団体が、パリ協定に準拠すると宣言したそうです。民主党系の知事だけでなく、共和党の知事もいたそうで、一枚岩ではない、自浄作用が働いているようにも見えました。ただ、それがどこまで効力があるのかは、まだわかりませんが。 今回の思考実験は「白鳥の湖」 あなたが制作した、ある惑星をモデルにしたオープンワールドのオンラインゲーム。プレイヤーは各自が異なる視点と目的で行動します。 もし、このゲームの「制作者」として、プレイヤー全員の目的を一つにするとしたら、それはどんな目的ですか?そして、なぜ...

139. 雀の涙

 お盆休みが明けて、最初の週の録音です。原稿も休み明けに書いたので、まあ、ぼちぼちとマイペースにやっているといった感じでしょうか。さっそく休みボケで小さなミスをしてしまいました。いつも通りといえばそうかもしれませんが、いけませんね。気をつけたいと思います。 最近、どうも睡眠の質が落ちているようなんです。もしかしたら、自転車通勤をしていないことで、有酸素運動が不足しているのかもしれません。1週間ほど自転車に乗っていなかったので、どうも調子が出ないなと感じていました。ものすごく悪いわけではないのですが、なんだかすっきりしない、といった感じです。休み明けに早速自転車に乗ってみたら、すごくいい感じでした。本当かな?なんて思ってしまいますが、今月はあと3回は乗りたいなと思っています。 お盆休みでスケジュールが押してしまったので、自転車で遠出する「くりだし」も控えめになっています。読書はちゃんと進めていますよ。読もうと思ってた『丸の内魔法少女ミラクリーナ』ではなく、村上春樹さんの『スプートニクの恋人』を読み進めているところです。読み始めたばかりの頃はなかなか入り込めなかったのですが、少し慣れてきたら、物語の展開が気になってきました。村上春樹さんの本を初めて読んだのですが、今まで読まずに何をしていたのだろう、なんて思ってしまいます。 習慣化することって面白いですね。意識して、その通りにやってみることで、自分自身がどう反応するのかを実験しているようで。まるで、おじさん版の「セルフ育成ゲーム」みたいです。これも、ある意味で「渦中鳥瞰」の一つだと思っています。前回感じた違和感の一つに、「観測範囲が狭い」というものがありました。鳥瞰しているはずの鳥の高度が低い、スズメくらいの高さだったということです。せめてヒバリくらいの高さを保って、自分を取り巻く多層の「渦」のレイヤーを広げてみてもいいかもしれない、と今さらながら感じています。少しだけ意識してみようと思います。これは、ただの希望かもしれませんね。 今回の思考実験は「雀の涙」 カーナビを引きで見ればどのルートが最適なのか直観できるが、曲がり角は見逃しやすい。逆に寄りで見れば細部は掴めるが全体を見失う。この鳥瞰の高度問題を応用する。あなたにとって、今一番必要な視点はどの高さ?  以上です。 コメント欄からぜひあなたの考えをお聞かせく...