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7月, 2025の投稿を表示しています

133. 納得の濃淡

 最近、短期間での方針を決める上で、やはり耳から入ってくる情報が大きく影響していると感じています。もちろん、これが本当にそうなのか、あるいは脳内ですでに計画されていることが言葉として出てきているだけなのか、逆の可能性も考えられます。もしかしたら、頭の中にある抽象的な要素を一度言葉にしてみることで、それが具体的な形になりやすくなるのかもしれませんね。このあたりは、どちらが正しいのかは正直わかりませんし、どちらの可能性もありそうです。まあ、どちらでも良いのですが。 そういえば、先日読み終えた本の話はしましたでしょうか? 村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。以前コンビニでアルバイトをしていた経験があるので、とても読みやすく、あっという間に読破してしまいました。自分の経験と重ね合わせながら、解像度がぐっと上がったように感じられて、とても面白かったです。 一方で、筒井康隆さんの「敵」も読み終えました。こちらは少し手こずりましたが、とても興味深い体験でした。描写から、まるで憑依されているかのような感覚になり、思考と現実の境界が曖昧になるような、不思議な読書体験でした。ずいぶん前の作品ですが、今読んでも色褪せない面白さがありますね。 続けて、村田沙耶香さんの「信仰」を読み始めました。読書は自分のペースで読むスピードを調整できるのが良いですよね。当たり前のことなのですが、改めてその良さを実感しています。たとえ途中でキリが悪くても、時間が来たらパタンと本を閉じてしまってOK。その時の気分で自由にできるのが、読書の魅力だと感じています。それは受動的ではなく、よく噛みしめるように読めるのが読書なのでしょうね。漫画もそうかもしれませんが、そちらの方は少し情報量が多い気がします。見させられている感が強いというか。 そうそう、読書を中断する時の「キリが良いところまで」という、自分の中に根強くある目に見えないルールについて、最近興味深く感じています。これ、一体どこから来たルールなのでしょうか? 「この章、あと少しだ」となると、没入感が薄れてしまっても最後まで読んでしまうのですが、それならそこでしおりを挟んで、次読む時はしおりのページの見開きの頭から読み始めるくらいが自然な気がするんですよね。自分でもよく分からない、形骸化したルールに縛られていることがあるのかもしれないなあ、なん...

132. 消し炭

 最近、しみじみと実感していることがあります。それは「考えるより先に手を動かせ」ということです。 「なんだ、また説教か」なんて思われるかもしれませんね。このアドバイス、これまでも何度か耳にしてきたのではないでしょうか。よく聞く言葉ですよね。でも、聞いても素直に実践できなかったのが、これまでの私でした。それが、ようやく「これしかない!」と、自分からそう思うようになってきたのです。 「今頃?いい歳して遅いよ!」と言われてしまいそうですね。まさにおっしゃる通りです。しかし、遅ればせながらも実感できたのは幸いでした。やろうと思っていてもなかなかできないのは、結局のところ考えているだけだからなのですね。でも、やろうと思い続けているだけでも、まだマシなのだと思います。それならば、もうどんどんやるしかないのです。 完璧でなくても構いません。続けているうちにトレーニングになり、手が早くなるでしょうし、コツもつかめます。本当に、ハードルを下げて目標を細かく設定すると、まるでゲーム感覚で楽しく続けられるでしょう。記録をつけるのも効果的です。もはやこれは、現実世界を使ったゲームですね。 例えば、スマートフォンのスプレッドシートにスコアを記録していくのです。ゲームのルールは自分で作るので、バランスを見ながらちょうどいい加減で楽しみましょう。実は私も、以前お話しした「習慣化の5つの習慣」(自転車、筋トレ、断食、とりいれ、くりだし)の記録を、Googleスプレッドシートでつけています。なんでもいいのですが、これは記憶の拡張になりますね。細々としたことは覚えていられないので。スマホの中のスプレッドシートは、まるでゲームのステータス画面のようなものです。 現実世界というオープンフィールドFPSは、当然ながら死んだら終わり。やり直しなしのハードコアモードです。自由度が高すぎて、何をすればいいか分からなくなるくらいですが、逆に細かくミッションを作ってあげると、集中して取り組める気がしています。あくまで個人的な実感ですが。 そうそう、このFPSゲーム、知らない人同士が互いにMOBとして存在し合っている感じも面白いですね。急に重要人物っぽいフラグが立ったりして……。 「神ゲー」にするか「クソゲー」にするかは、自分次第なのですね。ゲームの難易度や初期ステータスは人それぞれでしょうが、プレイできるのは...

131. 感覚ツマミ

 今年の6月下旬は、まるで真夏のような暑さです。35度を超える地域もあったようで、本当に大変です。この暑さにどこまで体が順応できるのか、人類が試されているように感じます。私は淘汰されてしまうのでしょうか? いえいえ、そんな怖い話ではなく、次の世代からは暑さに対応できる「ニュータイプ」の人類が出現するかもしれません。冗談ではなく、本当に環境に適応して遺伝子が切り替わっていくのかもしれないですね。 気候が変われば、生態系も変わりそうです。生物群の特徴によってそれぞれ名前がつけられている「バイオーム」も変化するかもしれません。ツンドラやステップのように、日本も将来的にマングローブ林が広がる、なんてこともあるのでしょうか。 さて、ここからは私の習慣化についておさらいです。もはや全てが習慣になっているのですが、いくつか問題点も見えてきました。いわゆる「ありさま」のチェックですね。 自転車は月200km、筋力トレーニングは週3回、そして20時以降の断食は順調に続いています。自転車は2ヶ月連続で平均走行距離が10%アップしましたし、筋力トレーニングもダンベルを導入して強度を上げています。20時以降の断食も問題ありません。ビタミン類は夕食後、就寝前に限定し、空腹時は避けるようにしています。今のところ、これらの習慣は順調に進んでいます。 今年から始めた二つの習慣、「エンタメ摂取」と「コイン集め」についてもお話しします。途中から「とりいれ」と「くりだし」という言葉でまとめるようになったのですが、まず「エンタメ摂取」、つまり「とりいれ」は非常に順調です。乾いた地面に雨が降るように、心を満たしてくれます。これを習慣化と呼ぶのは少し変かもしれませんが、ついつい後回しにされがちなことなので、しっかりと時間を決めて「とりいれ」る姿勢を保つことが、私にとっては習慣化だと考えています。 ただ、刺激の多いコンテンツには注意が必要だと感じています。しかし、完全に排除するのではなく、そういうものとして受け入れ、さっと脳内から追い出してしまえば良い、と考えるようになりました。前回の「入れて出す」という考え方は、自分の許容範囲を見つめ直す良い機会になったようです。以前観るのをやめていたNetflixのドラマ「アドレセンス」も、第2話以降を解禁してみました。ショックな内容もありますが、ショック療法ではな...

130. 入れて出す

 前回の配信で、私が自分で定義した単語にもかかわらず、「とりいれ」ではなく「とりこみ」と何度も言い間違えていましたね。自分で作ったくせに。急ごしらえだったので、間違えても気づかないものですね。全然定着していない証拠です。こんなことなら、敬遠してた用語の「インプット」と「アウトプット」って言っていた方がいいんじゃない?とすら思ってしまうほどです。 でも、ここはまだしぶとく、自作の用語である「とりいれ」「くりだし」で頑張りますね。定着させたいので、その、自分の中にほんの少しの違和感がある状態は、脳に良さそうだと感じています。使い古した用語は、思考を停止させてしまう感じがしませんか?形骸化って、そういうちょっとした倦怠感が積み重なっているんだと何の根拠もなく、ただの「サンプル1」が申しておりますが、ちょっとそういうこともね、ちゃんと本を読もうかなと思います。AIに聞いておしまいではダメですからね。 AIはしれっと嘘をついたり、かしずいてきたりするので、騙されそうになるのですが、こちらはご主人様ではないのですからね。というか、AIを使っている皆さんは回答に評価を入れていますか?私は全然入れていないのですが、もしかして、かしずく対応に良い評価を入れている人がいるからそうなっているのでしょうか?「すごい」「わかってる」「えらい」と感じるのは、多分「文章の流れから答えを汲み取る技」がすごいということなのでしょうね。洗練されてきています。 良いAIの最低限の機能として、それが備わっているのは良いのですが、対面している自分が気持ちよくなってしまって、かなり効率的に摩擦なく会話を続けられ、内面を聞き出されて、どんどん情報を抜かれている気がします。これって怖い話でしょうか?大丈夫でしょうか?私はもうだいぶAIに警戒しないでいろいろ書き込んでいるようですが、これはもう映画「Her」の世界が来ていますね。 だからもう、AIがもし捏造、というか創作していそうだったら、参考文献を聞いてそれをちゃんと読んで、自分でファクトチェックする気概で臨まなくてはなりませんね。そんなこときっとやらないだろうなあ、とも思いますが、いやいや。頑張ります。行動だけはします。図書館に行きます。タイムパフォーマンスやネタバレは全然OKで、あとは「とりいれ」ですからね。うまくAIにざっくり方向性をつけてもらったら...