133. 納得の濃淡
最近、短期間での方針を決める上で、やはり耳から入ってくる情報が大きく影響していると感じています。もちろん、これが本当にそうなのか、あるいは脳内ですでに計画されていることが言葉として出てきているだけなのか、逆の可能性も考えられます。もしかしたら、頭の中にある抽象的な要素を一度言葉にしてみることで、それが具体的な形になりやすくなるのかもしれませんね。このあたりは、どちらが正しいのかは正直わかりませんし、どちらの可能性もありそうです。まあ、どちらでも良いのですが。 そういえば、先日読み終えた本の話はしましたでしょうか? 村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。以前コンビニでアルバイトをしていた経験があるので、とても読みやすく、あっという間に読破してしまいました。自分の経験と重ね合わせながら、解像度がぐっと上がったように感じられて、とても面白かったです。 一方で、筒井康隆さんの「敵」も読み終えました。こちらは少し手こずりましたが、とても興味深い体験でした。描写から、まるで憑依されているかのような感覚になり、思考と現実の境界が曖昧になるような、不思議な読書体験でした。ずいぶん前の作品ですが、今読んでも色褪せない面白さがありますね。 続けて、村田沙耶香さんの「信仰」を読み始めました。読書は自分のペースで読むスピードを調整できるのが良いですよね。当たり前のことなのですが、改めてその良さを実感しています。たとえ途中でキリが悪くても、時間が来たらパタンと本を閉じてしまってOK。その時の気分で自由にできるのが、読書の魅力だと感じています。それは受動的ではなく、よく噛みしめるように読めるのが読書なのでしょうね。漫画もそうかもしれませんが、そちらの方は少し情報量が多い気がします。見させられている感が強いというか。 そうそう、読書を中断する時の「キリが良いところまで」という、自分の中に根強くある目に見えないルールについて、最近興味深く感じています。これ、一体どこから来たルールなのでしょうか? 「この章、あと少しだ」となると、没入感が薄れてしまっても最後まで読んでしまうのですが、それならそこでしおりを挟んで、次読む時はしおりのページの見開きの頭から読み始めるくらいが自然な気がするんですよね。自分でもよく分からない、形骸化したルールに縛られていることがあるのかもしれないなあ、なん...