114. 宝の地図の罠

 長いシリーズがやっと終わって、気が楽になりました。
知らないうちに肩に力が入っていたのかもしれません。いつものように考えたくないモードに切り替わってます。

同じテーマで何週も続けるのは、やはり持続させるのが大変です。別の要素が頭に浮かんでも、それを排除しなければなりません。都度、考えたいネタを捨てる作業は、書き留めて後から取り上げても良いのですが、旬を過ぎてしまったり、後から考えるとズレてしまうことがあります。別の考えとして残るだけで、「なぜこんなことを考えていたのだろう?」となってしまうのです。

常に考えはその時々の自分の環境や状態に影響されます。大まかには合っていても、細かい部分でズレがあり、最終的な出力が全く違ってしまうことがあります。そうなると、自分の思考も一期一会と言えそうです。

将棋の棋士も、同じではないでしょうか。バイオリズムで指し手が変わることもあるでしょう。いつも良い手が出せるとは限りません。しかし、そんな中でも常に良い手を出したいという気持ち・意識が「こころざし」として自分を駆動させる燃料になれば良いのでしょう。

私ならば「真面目にふざけたい」という気持ちが、その芯にあって、そのためにツールとしてのコミュニケーション、自分の話し方の練習、自分の思考を捉えようとしているのかもしれない。

うーん、何だったでしょうか?それはもうだいぶ前に内面化して掘り出せなくなっているのか。おそらく、そういう機能があるのでしょう。多寡は置いておいて、人間にはキャッチした外界のサインを内面に取り入れて行動原理として無意識に調整していく機能がありそうです。環境への順応と呼ばれているものが、それかもしれません。私は苦手意識がありまして、なぜなら自分軸に頑固なところがあるからで。

外界の要素を取り入れる、そのセンサーとフィルターとメモリーを同時に鍛える方法があれば良いなという漠然とした思いが、自分を突き動かしていたのかもしれません。そんなのは、ここまでやってきた流れからの後付けの理由かもしれませんが、今はそういうことが表面化された事実を、しばらく味わってみても良いのかなと思っています。センサー・フィルター・メモリーで「受・分・在(じゅ・ぶ・あり)」です。外界から受け取り、切り分けたものが、自分の中に在るということ。このような概念を傍に置いておくと良いかもしれません。

また何か変な言葉、自作の言葉を作りたくなってしまう癖が出ていますが、固有の概念だからそっと勝手に使っていれば良いのです。「じゅばり=じゅ・ぶ・あり」、こうやって思い出して行動原理を新たにするのです。

当たり前のことも基本に立ち返って。具体的にはインプット・アウトプットの際にただ意識するだけですが。このために何かを新たにするというよりも、その姿勢というか、何というか、やるときの心構えのようなものなのか。

そういえば、「渦モデル」も同時に、やはり今年の私の視点には重要な要素として傍にいます。全然関係なかったですね。OSの新機能の話として並列にしてしまいました。



今回の思考実験は「宝の地図の罠」

1. 有名店ラーメンのレシピをサイトでみつけた
2. つくる前にこのレシピの問題点がわかった
3. 塩の分量が多すぎるようだ
4. レシピを改変して調理したらうまかった

 以上です。

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