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161. 呼吸

 今週は調子づいて、勢いに任せて二本目の収録に入りますね。さて、お付き合いいただけますでしょうか。 これまでの人生を振り返ってみても、私と「早起き」という言葉は、実におよそ無縁なものでした。学生時代も部活動に精を出すようなタイプではなく、いわゆる「帰宅部」の看板を背負っていましたから、ちょっとだけ所属していた部活で朝練のために早起きをした記憶すらおぼろげです。たまのイベント事で無理やり体を起こすことはあっても、日常的に早く起きる習慣とは無縁の暮らしを送ってきました。 そんな私が、最近では朝の六時に目を覚ましています。習慣として定着している今の生活が、私の人生史上、最も朝型に近い状態と言えるかもしれません。もっとも、以前の自分が一体何時に起きていたのか、その感覚すらもはや忘れかけているのですが。 それでも、早起きの習慣という「渦」に、どうにも上手く乗り切れないもどかしさが常にあります。基本的には、出かけるギリギリの瀬戸際まで布団にしがみついていたいタイプなのです。「今ならもっと上手く立ち回れるはず」と自分に言い聞かせてみても、結局のところ、朝の目覚めというやつを完璧にコントロールするのは至難の業ですね。なかなか一筋縄ではいきません。 また、昨今よく耳にする「朝活」という言葉も、私にとっては少々眩しすぎるところがあります。元・帰宅部の性でしょうか、あの輝かしい響きには、どうにも気恥ずかしさが勝ってしまうのです。そもそも、私が理想としている時間と、世間一般で言われる定義とは少しズレがあるのかもしれません。例によって、自分なりの独自のネーミングを考えなくては、と思案しているところです。 知の巨人、外山滋比古さんは「寝起きの脳には素晴らしいポテンシャルがある」といった趣旨のことを仰っています。しかし残念ながら、私は未だにその貴重なリソースを、夜な夜な使い切ってしまう生活から抜け出せずにいます。それもこれも、すべてはドラマ『ストレンジャー・シングス』の誘惑のせいなのですが。 「いっそ早く寝て、朝にドラマを観ればいいのではないか」と、一瞬は名案のように考えました。しかし、果たしてそれが外山さんの説く「それ」に繋がるのかと言えば、甚だ疑問です。単なる情報のインプット、いわゆる「とりいれ」の時間になってしまうのではないか。そんなことを、静かな朝の空気の中で悶々と考えております...